その思考の「はじまり」は、どこ?
2020/06/23
物語には、必ず「はじまりと終わり」がある。
お目通し下さり光栄です、京都とオンライン
靈×脳科学 西陣の拝み屋 えみ美惠です。
本日6/23は、オンラインにてご予約承ります。
対面は夕方16時〜18時カフェスタイルでの
ご予約のみ受付可能、20時〜22時オンライン
受付可能です。ご予約は、こちらから。
対面のご希望が増えてきています、有難し。
島原サロン受付日は週1回ですが、カフェ
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あなたのいまの思考の始まりは、どこですか?
人間は真っ白い思考で生まれ、そこに生後色を入れていきます。
子が親を選んで生まれる論の背景にあるのは、その靈の使命に必要な色だけを残せるかを試すためにわざわざ不必要な色をつけるため、というのが拝み屋論。
染まってしまえば、役は果たせません。
だからこそ、わざと反するものに浸けてみる。
色落ちしないか試すには、強い漂白剤でテストします。
撥水テストは、ざばざばな水に放り込みます。
着色テストは、染料にどっぷり浸けるのです。
だから、自分は何のためにそこに浸かっているのか知ればいい。
そうしたら、見方がまったく変わってきます。
染まらなければならないのか、反対に染まってはいけないのか。
それは、始まりを知らなければ見えてはこない。
被験者は経験値を客観視できはしない、だから分析者が必要になる。
本来の専従は、他のことはしません。
しかし、時代はそんなに甘くはない。
ただ、霊媒師を辞めてまでやりたかったことがなんであったかは、思い出せたから。
17年前、わたしは、先祖に文句を言いたかったのです。
先祖には先祖の事情があるでしょう、大人の事情がわからないほど、もう子どもじゃありません。
時代は今より遥かに厳しく、必死に生きていらしたのでしょう。
そうしてわたしに遺伝子をくださった、そのことには本当に感謝します。
しかし、「呪われている」と他者から言われるようなことが、もし本当にあったなら、なぜ子孫に伝えないのか。
墓場まで持っていく、そんな美談はどうでもよろしい。
始まりを知らされることなく、不浄の身として生きる苦悩をお考え下さらなかったのか。
あなたがそんな風だから、いつまでも子孫が苦労するんです。
ちょっとお座りなさい!
話がある!
みたいな。
きっとこの頑固さは貴方譲りなのでしょう、ご先祖。
よくよく身に染みてお考えください、みたいな。
京都に来て、幾つかのお寺さんや神社さんとご縁ができました。
でも、どれも葬祭に関わることでした。
あるお坊さまは曼荼羅の欄外にいかはりますか、とおっしゃいました。
そう、わたしに巡る閻魔大王の世界は、曼荼羅の欄外。
天上界には存在しないものなのです。
しかし。
かの、小野篁公は申されました。
「地獄には、わたしも行ったことはない。地獄に行く、ということは、もう黄泉がえらない、と言うことだ」
そう、わたしが関与できるのは黄泉まで。
別のお坊さまには、こう教わりました。
「うちの宗派では亡くなった方の罪を子孫が償うことはできない。しかし、その想いがなんらかの功を奏することはある」
一年前のお盆に、半年がかりで先祖供養のために地蔵経写経し納経したとき、そう言われました。
ぶっちゃけ、膝から崩れ落ちそうになった笑
そして、気づくわけです。
後始末を誰かに投げる思考のまま他界した先祖よ、京都のシステムでは、それは自己責任らしいぞよ。
ざんねーん!(波田陽区)
古いっ!
我が思考の始まりは、ご先祖。
であるなら、その「不要な思考」という色を抜き、正き色に染め直したらよろし。
新たな思考を入れるためには、どうしても異文化の染料が必要だった。
それが神であり、この街京都。
受け継ぐべき伝統を歪めずに守る街の、色だったのだと思うのです。
色づくまではきっと、東には戻れない。
行けば染められてしまうから。
反対にしっかり色がついたなら、再び戻されることでしょう。
二度と染まらないかの、お試しをするために、ね。
372年ぶりの日食、しかし、日食の光は不運の始まりなんだとか。
物事は見方次第で諸説ありますね。
次の日食は800年後、でも見なければ不運にはならない。
あなたなら、どちらを選びますか?
うちの先祖は絶対見る派、で、まんまと不運に見舞われる派。
だから子孫のわたしは、安全にそれを見て人に伝える道を歩きたかった。
それが「神様のお膝元で神職の方と見る」ことやったのかもしれません。
神様はいる!てゆーか、多分うちの先祖も反省して、なんか考えて下さったんやろう笑
おじーちゃん、おばーちゃん、ありがとー!
世代を超えた和解笑
あなたの思考の始まりは、どこですか?
もし先祖から来ているならば、早く和解できるといいですね。
仲裁承ります、お気軽にお問い合わせください。