巫病と成巫式〜これからが、始まりです

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巫病と成巫式〜これからが、始まりです

2020/07/17

※画像はWEBよりお借りしました。

水の神様との時間は、あり得ないくらいのピーカンでした。

お目通し下さり光栄です、京都とオンライン

体感する脳科学で人生を豊かにする西陣の拝み屋です。

本日7/17は、オンラインにてご予約承ります。

15時以降受付可能、お問い合わせはこちらから。

 

昨日は定休日を頂いて、久々に神旅に出てまいりました。

「神旅」とは、神様の「ちょいと来てぇや」にお応えする旅のこと。

都に来てからちょこちょこありまして、コロナ禍以降は久々です。

実は神託を行うものは「成巫式」と呼ばれる通過儀礼があります。

私見ですが、役割が変わるたびにこの成巫式が繰り返されるのではないかと考えていて、理由としては公務員の配置転換に近いかなと思うわけでして。

拝み屋は、野良の巫女を公言していますが。

巫女にはざっくりわけると三種類あって

 

1.代々していた(踏襲)

2.修行してなる(目指す)

3.突然変異で覚醒する(スカウト的)

 

の、三種。

拝み屋の場合は、3に当たります。

臼井靈氣術者として上(天)と繋がり、気を下ろすうち、覚醒したパターン。

役者さんや武闘家や、神官職、お坊さまにもこのタイプの方をたまに見受けます。

脳の使い方として、きっと1の踏襲に近いことを会得すると、覚醒するのでしょうね。

個人的に人間は転生の過程で、一度もしていないことは、今世でもやらないと思っています。

それが善い記憶であれ、悪い記憶であれ、必要があるからやる。

ま、じゃないと転生の理論としては成り立たない側面もあると考えています。

 

神奈川にいたとき、成巫式のことをわたしに伝えにきた人がいたのではないかと思います。

突然変異型の場合、一般的には覚醒が始まる→教師が与えられるの反復を繰り返し、巫病を経て成巫式を迎えます。

このときの教師は、おそらく巫病の一種故、どなたも未熟な知識の方だったのではないかと思うのです。

成巫式を迎えるまでには、巫病の姿を借り、幾つかの通過儀礼を繰り返す。

そのため、神奈川では巫病の度に何度も闇に突き落とされ、トンネルから抜け出るためのスキルチェックが行われていたのではないか、と。

もっとも、それに気づいたのは昨日ですが笑

 

丹生川上神社は、実際に886年(仁和2年)に止雨祈祷が行われたことが日本三大実録に残されています。

その後、室町時代に入り朝廷との縁が切れ、行方知れずになっていた神社なのだとか。

戦後潰えたとされてしまった日本式の臼井靈氣の流れによくに似ていますね。

また、平安時代の朝廷には二十二社巡りの信仰があり、丹生川上神社はこの二十二社の一つとされています。

 

あれ?

二十二社巡りのお知らせ?汗

22もお社があれば、幾つかはすでにご縁ができており。

行ってないところを巡れよ、とのお達しかも知れませぬ。

(内心、えー…とか、なるやつ)

天命であれば、やるしかあるまい…(しくしく)

あと半分くらいかな…コロナ禍でも行けるのかしら…

 

2006年の春に菅原道真公とご縁ができました。

その菅原道真公は、888年に降雨祈祷をしていたことを今回の神旅の中で初めて知りました。

コロナ禍があり、アマビエがブームになりましたが。

日本の近年の災害事情を思えば止雨祈祷は、必要なスキルの気がします。

京都には神泉苑というお社があり、そこでは巫女たちが命により龍神に降雨祈祷を繰り広げた逸話が残っています。

半年前にそれを聞いた際、慌てふためき。

謡のお師範に、仕舞もご指導を、と申し出ました。

奉納謡だけでなく、奉納舞もできねば、一人前の巫女には成れぬと気づいたからです。

覚えの悪い仕舞いに右往左往しながら、早半年。

ようやく水の神様から、雨に関する祈祷の最初の教えとして、次のことを知りました。

 

【降雨の神は黒き馬、止雨の神は白き馬にて舞い降りる】

 

き、来て頂けるよう、頑張ります…

(ハードル上がりまくり…)

 

これから水害の季節が来ます。

一年前は、襲い来る巨大台風を前に大切な方々が守られますように、と一世一代の祈りを捧げるだけで精一杯でした。

これからはそうではなく、正しく召喚できるかの

段階に入る。

ちなみに「しょうかん」という言葉には二つの意味があり

 

召喚→呼び出す

召還→呼び戻す

 

「召還」の方は、パワーが減る作用をするそうで。

拝み屋的にいうなら、野辺送りと呼んでいたものは召還でした、と種明かしがされたわけです。

 

はー…絶句。

 

さて。

これからがまさしく本番。

ようやくスタートラインに立てた感、まだまだ成巫式には辿り着けませぬ。

召喚召還両者の力が身についたとき、初めて成巫式が成り立つのでしょうね。

 

10年前は七社巡りでよいと言われました。

ま、七社達成しないうちにいろいろトラブルが起きたのですが。

問題は病、というのが臼井靈氣の考え方。

巫病を乗り越えた先に待っていたのは3倍近い二十二社巡り。

残り十社くらい、やるしかあるまい、これはもう。

 

えみこなんか、大したことない。

これは、湘南で散々聞いてきた呪いの言葉。

随分苦しんできたけど。

でも確かにその通りだったかも知れません。

二十二社巡りも終えてなくて、召喚召還術の片方しかできなくて、雨も止められないえみこなんか、確かに全然大したことないです。

きっと湘南には、止雨祈祷ができる敏腕巫女がいるのでしょう。

えみこなんか大したことないって言っていた人たちは、その方をご存知なんですよね。

一日も早く、その方に依頼して止雨祈祷していただきますよう、お頼み申します。

わたしには、そんな人間離れした知り合いはいないので、一縷の望みをかけて自らが志願します。

もっともわたしが守れるのは、きっとわたしが大切にしている方々だけですが。

ま、大したことないやつ故それも致し方なし。

彼らのためにできることはなくて、当たり前かも知れません。

 

今日の京都も雨です。

豪雨災害の地域が、これ以上被害に遭わないよう切に願い。

一日も早く白き馬にて神をお招きできる法を会得するよう頑張るしか、いまはやりようがない。

いまは、こんなにも非力だけど。

でも、決して無力ではない。

いま大したことないやつだからこそ、できることがきっとある。

 

むしろ、大したことないやつだからこそ。

ある意味捨身になり、やるのです。

神様はそれを見ている。

ちゃんと見ていてくださる。

昨日の三社巡りの神旅は、それを教えて頂けた素晴らしき旅でした。

 

ありがとうございます。

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