インナーチャイルドと、七夕の短冊
2020/07/26
インチャイの願いは旧暦の七夕にたなびく。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
都の巫女 西陣の拝み屋です。
本日7/26は、オンラインにてご予約承ります。
明日7/27は、秘密基地館内整備の関係で予約受付時間が変動します。
今日明日のご予約は、事前にお問い合わせください。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
実は来週も、神旅が予定されています。
「遊んでいる余裕あっていいわね」とか言われそうですが、違います。
ある意味必死です笑
この10年、乗り越えられずに来た恐怖があります。
それはいまから10年前に湘南のある霊能者と名乗る方によって刷り込まれたもの。
その人は教育者で、彼女含む二人の教育者により、それはもう丁寧に刷り込まれました。
教育のプロが相手ですから、まあまあ見事に学習しまして。
結果、人生が硬直し始めた。
いま脳科学コーチをしている背景は、このときの経験から自分含めた人の脳内を疑う視点ができたからです。
昔、反社会勢力と認定され、尊師が処刑された宗教がありました。
そこでは、ある種の洗脳教育が行われていた、とわたしは思っています。
このときの似非霊能者(とお呼びしている)は、その宗教の関係者ではないかと、あるときからずっと思ってきました。
だから、脳に目が行った。
それが真実かはわからない、ただ、わたしは知りたかった。
あのとき、わたしがなにをされたのか、を。
近しい生徒さんはご存知ですが、負けん気の強さは誰にも負けません。
執念に近いこだわりようが、常にある。
その根幹には「納得していないことを、されるのが耐えられない」という思いがあるのです。
死ぬわけじゃないから、やりなさい。
死ぬよりいいから、やりなさい。
戦後教育の根幹は、これ。
でも。
生きていりゃあいいってもんじゃない。
やりたくないことをやらされて、人間として壊れたら、それはもはや生きているとは言わない。
《あの子はあれでいいのよ。
もう二度とこちらには戻ってこられない。
命があるのがせめてものお慈悲。
まあ、ただ生きているだけ、という終わらない
世界をせいぜい生きたらいいんじゃない?》
そんな高笑いが聴こえる気がした。
(ええ、被害妄想かもしれません)
どうせ命を取られるなら、せめて相手くらい選ばせろ。
お前だけは、死んでも嫌なんじゃ!
もーいっかい!もーいっかい!
↑
死神にさえゴネるタイプ
負けん気の強さが災いし、こんな仕上がりに。
しかし、禍転じて福となるわけで、戻れないはずの世界に戻るチャンスが巡ってくることもある。
8月から、本格的に行のある暮らしに戻ろうと思っています。
なかなか高みを目指す行になるため、お手をお貸しいただく神様へのご挨拶回りの神旅が続いているわけで。
なんせ、10年ぶりですからね、まあ、いろいろございます。
しかもコロナ下、移動に対する制限もある。
それでも、やる。
敗者復活戦を待ち続け、ようやく手にした10年越しの切符だから。
いつやるの?
いまでしょ。
霊能者が、大嫌いでした。
その原因は、この似非霊能者にあります。
でも。
思ったんです。
もし、わたしが行の先に手にする法力があり、それを呈する先があるのだとして。
その人がなし得ることが偉業だとしたら。
悪党であればあるほど、法力を手に入れられないようにするに違いない。
もちろん、偉業は必ずなし得ねばならないので、何人もの援護者が用意されています。
その援護者を一人ひとり、邪魔しようとする輩が出てきたとしたら。
幾数年先には、悪党の思惑は成し遂げられてしまう。
ゆるしまへんえ。
(て、なるやつ)
わたしにできることは、小さい。
でも、なし得るべきを為し得なければ、一番するべきことは、できないのではなかろうか。
そんなことを思ったわけで。
だからね、やるの。
どうなるかわからないけど、いまやるの。
本物の法力ってどんなものか、見せられるようにならない限り、あのときの輩を似非霊能者なんだと証明することができないから。
存在証明を出せる人になりたい。
それはわたしの一つの夢。
だからこそ、「あなたは、それではありません」と証明することもできねばならない。
そのための行が、始まります。
えみちゃんね、こんど、おねいさんになるの。
我がインチャイ(インナーチャイルド)は、楽しそうや。
(はいはい、ランドセルは下ろしましょうね)
さて。
あなたのインナーチャイルドは、どんな志で七夕を迎えますか?
旧暦の七夕は8/25、短冊を書くのはこれからです。
ぜひ、内なる我が子とお話し合いをしてみてくださいね。