本能はアクセル、理性はブレーキ
2020/09/14
この国は、ブレーキの踏み方を忘れかけている。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
日本にひとりの臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日9/14は、オンラインにてご予約承ります。
11時〜16時ご予約受付中。
ご希望の方は、こちらから。
本日はセルフチューニング法WSも受付中です。
詳細はこちらから。
週末にお休みをいただくスタイルになり、2ヶ月目。
「日曜のお休みの日は、夜は何時になれば営業再開しますか?急ぎなんですが」
というお問い合わせを頂くことがありますが。
基本お休みの日は、身体が空いていてもおやすみとなります。
神奈川時代は「急ぐの」「時間がないの」と言われれば現場に出てきたので、連絡すればどうにかしてくれる、という信頼関係ができてしまったようですが。
そのスタイルを辞めようと思っています。
コロナ禍のすこし前に「将棋を覚えよ」というメッセージを受け取っていまして。
きっかけは、大好きな神木隆之介くんの「三月のライオン」。
実際に入門書と遊び程度の将棋盤は揃えたものの、まあやらないやらない笑
将棋文化のまったくない場所で育ったため、未知で無知な世界。
今月に入り人から習う機会を得ましたが、まあパニックになりました笑
学び方っていろいろあると思いますが、わたしは基本独学向き。
興味と好奇心を糧にひたすら我流で学んでいくか、もしくは超大好きな人の下で学ぶか。
この場合、後者の方が難易度が高いのです。
一度触っただけで「もうやらない」とパニック起こしても大丈夫な先生に教えて貰い、そのあと将棋アプリで自己学習するという、ね笑。
つまり、負けん気が強くて教わり下手(間違いたくない)なわけです。
いや、この悪い癖はなかなか治ってなかった、猛省。
将棋の世界は、アクセルとブレーキ、そしてモチベーションの使い方を学ぶ世界でした。
初日に学んだのは、前進衝動の継続の難しさ。
そして、攻めながら守ることの難易度の高さ。
それを体感で受け入れることが、どれほど難易度が高いかを見せつけられた気がしました。
頭ではわかってる、でも身体はついてこない。
頭より先に身体が拒む、だから動けなくなる。
反対もまた然り、頭より先に身体が求める、だから動いてしまう。
それを制御するためにあるのが「理性」のブレーキ。
「精神論はいいから、まず型をやりなさい」
そう言う人がいます。
精神論を理解しないで型をやることに、なんの意味があるのだと思うタイプでした。
しかし。
これはまず、身体に覚えさせる意図があったんだな、と気づかされました。
身体は本能とつながっています、本能の受容範囲を広げなければその領域には行かれない。
だから、まず型から入る。
かわりに弊害として精神論が伴わないと、辞めどきはわからなくなる。
つまり、美しくないのです、美は精神領域だから、そらそーだ。
辞めどきを忘れた身体はどこまでもそれに浸ります、ひたひたひたひたと。
ひたひたになった身体はいずれ、ダメになっていく。
「小手先」という水に首まで浸かってしまうから。
怖い怖い。
えみこは、精神論が大好きです。
それは、暴走特急な自分に振り回されてきたから。
10年前、ある教育領域にいた似非霊能者が「貴方は真面目だから」と近づいてきて、わたしの人生を壊して行きました。
なにをされたか見つけ出せず、治せないまま10年闇を彷徨いながら生き存えました。
内側にいつもあったのは「このまま終われない」という思い。
他人に、しかも憎むほど侮蔑した人間になにかをされたまま、死ぬなんて負け犬がすること。
いつか必ずこの呪いを解除して倍返しにしてやる。
ずっとそう思ってきました。
あんなやつが教育者なんて、しかも霊能者なんて、世の中間違ってる。
社会のために、神罰による制裁は行われるべきなんだ、そんな過激な発想を捨てられなかったこの10年。
それでも、怨まず憎まず感謝して生きていけるようにはなった。
ありがとう、貴方の呪詛のおかげでわたしは死ぬこともできなくなりました。
生きることへの執着を教えてくれてありがとう、だから魂すべてをかけて、この呪詛に挑み解除します。
躯体が朽ち果てようが。
500年スケールで、挑み続ける。
たのもー!
(わたしのiPhoneの変換では「呪詛」と入れると「たのもー!」と予測変換されます、吹いた)
その呪詛の見えた日。
10年前わたしが受けた呪詛、それは「本能と理性の分断」。
これによりブレーキの踏み方がわからなくなってしまったのです。
理性のブレーキは、「このままでは壊れる(ダメになる)」段階で減速するために踏むもの。
昔の車はみんなマニュアル車で、このアクセルとブレーキ、そしてクラッチングが走行のレベルを決めました。
カーレースの世界は特にそう。
10代の終わりからフリーランスになるまでの15年くらいをカーレースの世界と関わり過ごした意味がいまわかる。
そんな時間がこの週末でした。
分断されたなら、繋げばいい。
わたしはまだ、ブレーキが壊れたわけじゃない。
反対にブレーキを壊される前にアクセル全開で突っ込んで行っただけ。
それがきっと相手の誤算だった。
分断されたなら、普通は止まれないから踏み込まない。
でも。
わたしは違う。
車体をぶつけながらハンドリングだけでアクセルを操り加減速を繰り返して。
最後には、相手を跳ね飛ばすまで追いかける。
なぜなら、気が済まないから。
気の済むまで、飽きるまでやる。
それが、わたしの本能の動き。
だから、簡単に飽きないものは最初に違和感を見せる。
避けておかないと、長い付き合いになってしまうから。
見誤ると、倍になり跳ね返るのが邪な思い。
それを人は「呪詛返し」と、呼ぶのです。
さて。
10年分の呪詛返しが始まります。
えみちゃんのブレーキ再接続の段が始まる。
10年ぶりの第二ラウンド、なかなか面白そうな戦いじゃないですか。
二度と会わぬ相手だろうが、外した呪詛は確実に戻される。
出た場所にかえる、それがエネルギーの性質だから。
神様劇場の新たな幕が、いま上がる。
さあさ、皆さま。
この顛末をとくとご覧あれ。
えみこは、無敗な自分がお気に入り。
陣地に来た駒は、奪還するまで追い詰める。
この戦、戦い甲斐がありそうや。
後手 西陣の拝み屋 えみこ。
10年目最初の一手の駒にいま、手をかけます。
ふふふ。