令和の霊媒師は、戦わない。
2020/09/24
※画像はネットからお借りしました
必要なことからは、逃れられない。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
日本にひとりの臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日9/24は、オンラインにてご予約承ります。
19時以降ご予約受付中、ご希望の方はこちらから。
3年前の今日、「会いに行ける霊媒師」を名乗りました。
3年前の今日、京都の地でJKから命名されました。
まだ3年なんだ、という事実にびっくりします。
昨日講座にいらした方から「朝が遠い」とLINEをいただきましたが、臼井靈氣の時間軸は半日前が遥か昔に感じたりします。
わたしの靈氣の時間軸は24時間が三倍濃縮、つまり3年で9年分経験を取るわけです。
でも、実際の時間は3年。
わずか3年、石の上にも3年、の、あの3年。
だからこそ、うっかり忘れそうになります。
戦闘型霊媒師であった、自分のことなど、ね。
この世には、さまざまなトラップを仕掛ける鬼がいます。
逆を言えば、鬼がいない人なんて居ないのかもしれません。
お能に「山姥(やまんば)」という演目があります。
山姥は、皆さまご存知鬼女ですが、お能における山姥は、単なる鬼女ではないそうです。
この世のさまざまなものが集まり、山姥になる。
それがお能における山姥のとらえ方、そう教わった矢先のとあるできごとに昨日は哀しみ、怒り、振り回された時間がありました。
でもそれこそが、実はわたしが現存する山姥に出会っただけの時間だったと知らされた日。
人間が人で在り続けたければ、努力せねばなりません。
理性を保ち、品性を保ち、夢を見て努力する。
誰かを愛おしみ、愛されたいと想い願う。
それを怠るとき、人間は人ではなく、ヒトに堕ちていくのかもしれません。
ヒトがさらに堕ちれば畜生に、畜生がさらに堕ちれば阿修羅に、阿修羅がさらに堕ちれば餓鬼に。
その餓鬼の頂点にいるのが、もしかしたら山姥なのかもしれません。
そこまで堕ちれば、もうなにもわからないはずなのに、山姥になってしまったばっかりにいろいろなことが悟れてしまう。
それが一番の悲劇なのかもしれません。
能楽の「山姥」が遊女が主役の話だったことが意味するものを、考えさせられる時間でした。
人はカルマを落とすとき、ある種の追体験をせねばなりません。
そこでどんな風に振る舞うのかを、試されていくからです。
ディズニーの名作「シンデレラ」は、女の子たちに「笑顔」と「勇気」という魔法の使い方を教える物語でした。
それは、男の子には決して使えぬ魔法。
ずっと「シンデレラ」を追いかけて来ましたが。
この二つの魔法を学べば、シンデレラになれるということに気づかされたのもまた、昨日でした。
禅問答みたいな、本日のブログ笑。
これが、えみこが新たに生きると決めた世界です。
「不思議の国のアリス」がジョニーデップで映画化されたとき、あまりに難解で寝てしまうほどでしたが笑(わからず、退屈すぎて)。
いま観たら、違う楽しみ方ができるのかもしれません。
一年前のある時間まで引きずられかけたけれど、それはみんな、虫の仕業。
令和の霊媒師は、戦わないと思います。
代わりに、ギンコのように淡々とことにあたる。
えみちゃんは、シンデレラ。
笑顔と勇気の魔法で、山姥も消せると信じているんですもの。
うふふ。