設定と顔つき
2020/10/05
身体に入れたら、顔つきが変わる。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
日本にひとりの臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日10/5はオンラインのみご予約承ります。
20時半〜22時のみ受付中、明日10/6の対面依頼は11時〜16時受付可能、本日中にご予約ください。
明日10/6は、16時で閉店します。
10月が始まり4日過ぎました。
土の時代の終わりに向かい、様々なメッセージが放り込まれ、ときに苦しくさえ、なります。
風の時代は、楽しむことができないと生きづらい時代。
そのためには、重苦しい圧力からは身を遠ざけておかねばなりません。
その際、自身の脳内設定を確実に変えておかないと不具合が発生します。
週末、5年ぶりにクライアントさまがご依頼をくださいました。
「おかげさまであれから、随分人生変わりました」
お戻りの際に頂いた言葉は、ちょっと嬉しかったです。
人の人生を動かすことが喜びだから、この仕事をしている。
奇跡です、とそのとき言って頂いた方がのちにすべてが当然のこととして振る舞うのを随分見てきました。
その度に「この仕事は人間の浅ましさを見るのが役目」とか「わたし程度、いくらでもいるから」と自分を納得させてきたことに気づかされた週末。
「貴方がそうしていられるのは、わたしのおかげ」
そんな言葉の鎖を、まだ引きちぎっていないことに気がついたのです。
きっかけは、元モー娘。のゴマキさんでした。
9月の末にAKBとゴマキさんがコラボしたダイジェストを、たまたま観たのです。
ま、うちにはテレビがないですし、この世に偶然はないからきっと指導霊の仕業なんですけど笑
いやもう衝撃で、一瞬気持ち悪くなった笑笑
格の違いってあるんですね、残酷なまでにある。
でも、その格そのものは本人が作り出していることを気づかされたんですよね。
イメージと明確なゴール設定、それはモーニング娘。という怪物に中学生で参加して、ある意味のちに名だたるプロデューサーになる人の下で教育を受けてきた人だからこそであり。
その教育を余すことなく吸収し、血となり肉とできる逸材だからこその話なのでしょうが。
結局、とどのつまりは設定。
そして、その設定に見合った面構えができて初めて世界は完成するってこと。
自分が嫌いな面構えになるような世界には異議を唱え、逃げなければいけないと思いました。
そして、やっぱり教育は大事。
今さらだけど、教育は大事だと思いました。
この週末は、臼井靈氣の遠隔伝授もあったのですが。
うちに通所して約一年になる生徒さんから「師範とお呼びしていいですか?」と講座終わりにお言葉をいただきました。
可愛くて、失礼ながらちょっと笑ってしまった。
ずっと「先生」とか、「師範」とか呼ばれることなくやってきました。
神奈川時代は、まあそうは呼ばれない。
呼ばなくていいと思っていたし、好きに呼んだらいいですわ、は、いまでも変わらない。
でも、それは自分を楽な方に向かわせてるんやないかと、ふと思ったんですよね。
「師範」と呼ばれたら、それに相応しい生き方を取らなきゃならない。
だから、呼ばれなくていいし、むしろ格下に扱われてもよしとしてきた。
ただ。
そんな世界を作っている限り、そこにいる人たちが手にできる幸せって、結局たかが知れているな、って。
同じことしていても「師範」と呼んでくれる人や、もう随分前から「先生」と慕ってくれる人が出てきた時点で新しい世界線は生まれていて。
そこで起きている奇跡は、そうじゃない世界とは確かに雲泥の差だったりするから。
二重スリット実験の残酷さ、その波をどう観測するかで世界が決まる。
貴方が観測したわたし以上のポテンシャルは、その世界では引き出せない、という、ね。
先月末に安産祈願のブーケを手にした方が出産されました。
ドラマみたいな流れの中で、超安産。
感動の涙があちこちに流れるよいお産でした。
「先生!ありがとうございました!」って一報に「貴方の頑張りが報われましたね」って応えました。
ただひたむきに、出産まで生徒さんが祈り靈氣を動かしていくのを、わたしは、ただ観ているだけでしたが。
あれは、世界線の為せる技だったのか、って納得した週末。
信頼を裏切りたくない。
それが、わたしのスタンスです。
そこにあるものが信頼であるなら、決して裏切りたくはない。
信用には、信用された分だけは応えます、仕事やから。
でも信頼には、全身全霊をかけて応えていく。
何度でも、それが形を為すその瞬間まで。
それが、わたしという人間なのだと思うのです。
わたしが好きな、わたしの在り方。
そんなわたしに相応しい面構えになれる世界で、風の時代は生きていこうと決めているのです。