命を粗末にすると、心を失う
2020/11/02
銀魂的な、本日のタイトル。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ 心の動かし方のお稽古場 西陣の拝み屋です。
本日11/2は、体調不良のため臨時休業しています。
明日11/3から営業再開いたします。
10月の終わり、あるきっかけで始まった体調不良は、先週末の失声傾向を経て、ついには土曜の夜から食べ物を吐くという症状に発展。
昨日街中でも似た症状が出たため、本日の臨時休業を決めました。
この症状が継続すれば日常生活は維持できなくなることを過去の経験から知っているからです。
昨日の昼以降、とりあえず水分以外絶食。
予定先にキャンセルの電話をするも、声が酷すぎて会話はほぼ成り立たず苦笑
その後丸半日寝て、悪夢と寝汗で二回着替えるために起き。
明日には治らないかなー、と、1日を過ごしています。
夢は本当にリアルな夢で、現実じゃないかと思い違うくらい。
きっと、鬼滅の刃的ななにかに触れたんでしょうね、わたしは笑
ネタにでもしないと、やってられない。
熱がないのがせめてもの救い。
ベッドの中で、眠りに落ちるまで、いろいろ考えて過ごした時間。
夢の中では、神様がたにお説教されるし、本当にもうなんですかねって感じ笑
でも。
そのお説教で言われたことが理由で、体調を崩してから半月ぶりにようやく涙を流すことができました。
今回のきっかけは、ある依頼人さんとのやりとりからですが。
それはトリガーに過ぎず、その奥にあるものがわたしを苦しめていたんですよね。
それが「心ない行動」。
京都に来てからも、何人かそんな方々には出会ってきました。
わたしたちの仕事は、依頼人を信じることから始まります。
しかし、それだけではどうやら生きていけない時代が来たのだな、と。
臼井靈氣は、生きたまま生まれ変わる術と言われています。
だからこそ、わたしは18年実践し続けたし、本当にそれができるのか?と問われたら、わたしはできましたよ、と答えます。
でもそれをやりたい、と言われたら「なら、信じてついてきてください」というしかないんですよね。
そこで発生するのが「信じてますよ詐欺」笑
まー、よくこれに騙されます、わたしは。
ヤクザの街、と呼ばれる街に育ちました。
その街が大嫌いでした、そこでは暗に「瞳の綺麗なやつは信用するな、本当に悪いから」などと言われたりします。
そんな世界が、本当に嫌だった。
騙されるやつが悪い、そんな街でした。
21で川を隔てた隣の漁師町に移り住み、家庭を持ち子を二人もうけました。
その街も、いつしか息苦しくなったころ、京都に出会いました。
海のない洛内での暮らしが丸一年を迎えたある日、北にある海の神様八大龍王に会いに行くチャンスが巡ってきました。
もっともそれは、京都で暮らすために必要なものをとりに行っただけだった、と、今回の神旅で知らされるのですが。
10/30、声が出なくなる日の朝は、5時半に目覚ましを待たずに目が覚めました。
オーシャンビューの窓辺から真っ暗な海を眺め記事を書いて、ふとこの日がわたしをこの世界に戻してくれた方のご命日であることを思い出しました。
2013年10月30日、この日をわたしは永遠に忘れないと思います。
7年、長いようで短い時間でした。
夜明け前に雨が降り、空が明るくなり、海が不思議な動きをしました。
まるで何かが海底を泳いでいるような海面の動き。
そして、その方からご家族に宛てたメッセージが降りてきました。
わたしにできる精一杯でお伝えはしましたが、その方のご希望に添えたかはわかりません。
でも、これを最後にどうやらわたしの故人の通訳の役目は、終わりを迎えたようです。
「拝み屋」とは、本来宗教に属さない祈祷師のことをいいます。
願いを天に通すための存在、それが「拝み屋」なのです。
もう一度、死んでしまった人に会いたい。
それは、18年前業界に縁ができたときのわたしの悲願でした。
だからこそ、震災からの10年はそれができたのかもしれない。
でも、この数年はあまりに人間が変わって行った気がします。
東日本大震災の後、岩手には「風の電話」と呼ばれる故人と話せる電話ボックスができました。
そこでは、故人と話せるそうです。
でも、きっと心が動かない人は、声も聴けないだろうと思っています。
故人最期の声にこだわったのは、その力の強さを知っているから。
でも、だからこそ、よく知っています。
監察医は、心の動かし方をプロのスタンスから変えたりしない。
目の前で誰が泣こうが喚こうが、暴れようが、動じない。
なぜなら、故人はもう意思表示できないのだから。
まして、生きている人間が自分のことで何をしようが、動かされてはならないのだ、と。
プロの拝み屋で在りたいなら、なおさら、ね。
つい最近、ある人に言われました。
「ツナグだって、なんにもなく故人と会わせてくれるわけじゃない。見えないところでいろいろあるのに。どうして、わからないんだろう」
それが誰かに届いただけで、もうこのフェーズは十分なんだな。
そう思えた瞬間。
人は、愛がある方に足を向けます。
求める愛が変われば、足がむく方も変わる。
でも、それができるのは心がちゃんと機能していて、愛と支配の区別がついている人だけ。
風の時代は、ここが要になるでしょう。
あなたの愛は、本当に「愛」ですか?
あなたの心は、本当に動いていますか?