「障害」って、なんですかぁ?
2020/11/06
使い方、間違ってんじゃねーぞ、コラ。
(あら、ごめんあそばせ)
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
夢を叶えるお稽古場 西陣の拝み屋です。
本日11/6は、オンラインにてご予約承ります。
明日明後日と休業日を頂きます。
時間により受付する時短営業となります、お気をつけください。
来週の最新スケジュール、12月のスケジュールは本日中に公開予定です。
さて、本日のタイトル「障害」。
実はここ数日息子がある個性(彼に言わせたら障害)について、SNSで発言しているため、これについて書いてみようと思います。
断っておきますが、息子の個性がなんであるかは、記載しません。
彼がカミングアウトに範囲指定をつけていることが理由ですが、もうひとつはこのブログを毎日ある一定の「アンチ」と呼ばれる方々が閲覧しているから。
中には自宅に押しかけたり、個人情報ばら撒いたりする過激な方々がいらっしゃるから。
ご興味ある方は、わたしの名前でエゴサしてみてください笑
詐欺とか、ポエマーとか、レイマスとか、なんかねーいっぱい出てくるのー(カマたく風、最近お気に入り)。
適宜警察にお届けはしています、お忙しいのに刑事課の皆様申し訳ありません。
京都府警は、某県警と違って市民に優しいから好きです。
話をシュッと戻して(特技)。
わたしには、幾つかの「障害」とされる既往歴があります。
既往歴、とするのは、これらを克服してきたから。
◯吃音
◯降下恐怖症(階段が降りれない)
◯自律神経過敏症
(突発性嘔吐症、突発性歩行困難、過呼吸、睡眠障害、無気力、感情過多等)
診断は受けていませんが、たぶん発達障害という分野ではグレーゾーンだと思います。
つまり、「普通」という既成概念がそもそも該当しない。
昨日いらしたお客様の相談内容に対してもお話しましたが、我々の世界でいうポルターガイストは精神科では「集団ヒステリー」に分類されます。
脳科学的講座でよく「霊障は脳のバグ」という話をしますが、私見では西洋医学で証明ができない病(例えば吃音)などは脳のバグだと思っています。
何故なら我々が行う「行」の正体は、身体経験をもって脳のリミッターを解除する作業だからです。
脳には6回それを経験するとアップデートする機能がついています。
個人差はありますが、だいたい6回とする説があるのです。
しかし、どこから数えて6回かわからない。
また、発症理由もわからない。
わたしは現在2回目の失声症の兆候を抱えて仕事をしていますが、これが吃音の絡みとすると何度目かの脳のアップデートということになります。
吃音は別名「どもり」と言われますが、吃音には幾つかのパターンがあり、わたしの場合長い沈黙の後言葉が出るタイプでした。
言葉が出ないので「教科書が読めないバカな子」と12歳まで言われていました笑笑
まあ、バカは事実か。
頭良くなりたぁぁぁあい笑。
吃音は、知らぬ間に治りました。
きっかけはたぶん14歳で始めた音楽、親の敷いたレールをぶち壊す日々だったガールズバンド時代。
「我が家の恥」「家を狂わせる元凶」実母から浴びるこの言葉に抗って手にした「自分の意思で生きる」人生。
だからこそ、それを破壊する人間に会うと未だに声を失うのかもしれません。
ま。
いつか必ず、この原理も解明しますけどね。
我が身を検体に、盛大に実験しながら。
障害とは、本来以下のような意味を持ちます。
障害(しょうがい)とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもののことである。障礙(しょうげ、略字で障碍)は、仏教用語として煩悩障など心を覆い隠し悟りを妨げている要素を指して用いられたことから、邪魔するなどといった意味で使われ、明治時代にはしょうがいと読まれるようになった。その後、日本では妨げというような意味では、それらの表記は区別されず用いられた。
つまり、本人が感じることが障害を決める。
回りが基準で決めるべきものではないのですが、まあ、土の時代の拡大解釈の典型ですよね。
うちの叔母は中途障害で右手が義手でした。
でも、シンママだったし、お握りも握れたし雑巾も絞れました。
叔母は大好きな人でした、いつも明るくてたくさんのことを教えてくれました。
叔母の一人息子とは兄妹のように育ちました。
いまでも神奈川から京都に訪ねてきてくれます。
10年ぶりにあってもストンと時間が戻る、そんな関係の数少ない身内。
わたしたちの中では、叔母はちょっと不自由な人なだけ、そしてその不自由を自由に変えるすごい人なだけです。
叔母がいてくれたからもしかしたら、わたしは生きることを諦めていないのかもしれません。
祖父は64万人に一人といわれる奇病で元旦に死んだと聞いていますが、そんな血を引くわたしだからこそ、きっとできることがあると信じています。
死んだ人と話せるなんて、詐欺。
貴方なんて神様と話せるわけない。
できるものなら、臼井靈氣でやってみせろ。
「健常」というクレジットの方々から、関東で浴びてきたこれらの言葉。
声をなくす原因を作る人もすべて神奈川にいる。
この街を好きになれって方が無理じゃないかと思うのは、障害者だからなんでしょうか?
京都はその昔、羅城門には鬼が住むと言ったそうです。
よくわかる、こんなこと言えるのが鬼じゃないならなんだろうと思うから。
鬼滅の刃の炭二郎兄妹は奥多摩出身らしいから、あながち間違いでもないのかもしれない。
鬼の末裔がいる場所は、案外昔語りにある話なんじゃないのかな、なんて。
ま。
わたしも末裔の一人やけどな笑。
障害って、なんですか?
その何割かは、個性なんじゃないんですか?
少なくともわたしは、世でいう物質社会のルールには合わせられません。
それでも、障害者というつもりもありません。
昨日関東から「刺客」と呼びたくなるような連絡が入りました。
わたしからしたら、気分を害され体調が悪くなりまさに「障害」。
障害だから排除します、乗り越えるべきが障害だと信じているから。
そして、これだけは言っておきたい。
胸に手を当てて聴いてみる。
それくらいは、できるひとでいてね。
あなたが、人間ならば、ね。
わたしは人間を目指し、デビルマンとしてこの生涯を生きていくって決めてますけど。
デッビール!!