再取得
2020/11/13
次はもっと、いいものが来るに決まっているの。
お目通し下さり光栄です、京の拝み屋 京都の脳科学コーチ 西陣の拝み屋です。
本日11/13は、オンラインにてご予約承ります。
明日11/14から16まで変則営業となります、スケジュールは本日中に公開させて頂きますね。
昨日は真理予防学グループレッスンの平日クラスでした。
真理予防学では、そのときの最新情報をお伝えしているため、回により内容が変わります。
昨日はチャクラワークが加わり、風の時代により対応しやすい身体作りをご体験いただきました。
風の時代は、見えない領域にある思考や情報に軸がシフトします。
その一方で最大のコストダメージは健康という概念を、いま一度みんなが気づく時代になっていくのです。
会場であるLe Natureさんではオーガニック、地消地産などにもこだわったメニューによる薬膳などもご体験いただいています。
ご興味ある方はぜひ一度ご参加くださいね。
かくいうわたしも声を枯らして早10日以上が経過しました。
原因は心因性のものであるため、薬では治せません笑
だがしかし、見えないものが原因なら、それは専売特許。
人体実験を繰り返し、昨日あたりから謡の自主稽古も再開しています。
ま、出ない音もありますが、お稽古日が決まったからにはある程度形をつけたい。
好きな人に習うって、ほんまに大切やと思います。
大好きなお師範やから、できなくて無様でも、納得いく無様さでありたいわけですよ。
あらやだ、えみちゃん意外と女子じゃーん。
(カマたくさん風味)
舞えない、は、耐えられても(仕舞いは祈祷師の嗜みとして渋々やっている感があるから)、謡えない、は、耐えられない。
声フェチだから、お師範の声に惚れてお稽古に行くからには、下手なりにも「まあ、節は合うてますね」くらいは言われたい。
言われたいんですー!
(例えるなら、好きな男子に「意外と歌うまいじゃん」と言われたときを想像してください、あれです)
結構女の子なんだぞ!こう見えて。
(すぐ戦うけどな)
声は出ないわけですよ笑、大前提として。
でも謡いたいじゃないですか?
じゃ、どうするか。
声って、どーやって出したっけ?
人間考える葦です、しかも左脳系です。
身体の動きを分解し始めるわけですね。
①息を吸う→②出したい高さに合わせて体を震わせながら息を吐く準備→③そこに出したい音の母音と子音を載せる→④いざ発声
これをひたすら繰り返し、わたしたちは声を出すわけです。
わたしは現在②がトラブルを起こしています。
心因性のダメージにより、声帯が過緊張を起こしロックされたまま解除されず振動しないから声が出ないのです。
じゃあ、どうするか。
他の箇所を振動させて音が出るまでやる。
(えみちゃんのしつこさ、なめんなよ)
いやー、人間やりゃあできますね、音出るわ笑
ずっとは無理なわけですよ、でも謡うだけなら5分くらいだからね。
喉じゃない場所から音は出せる。
ふっふっふ、謡えるじゃねーか、これ。
うーたーえーるー!♫
ってことで、昨日から短時間ですが朝稽古再開したわけです。
地道に頑張ろう、まだ短時間しかできないけど。
再取得のヒントは、実は神奈川時代にありました。
辻堂秘密基地で「RRF」というプログラムとしてフェルデンクライスのセラピストさんとコンビを組んで活動していました。
フェルデンクライスとは、事故により半身不随となったなったフェルデンクライス博士が身体機能を再取得するために生み出したリハビリ法。
そのベースの概念は「われわれは赤子のときゼロから取得してきた。故に何度でも再取得できるはず」というもの。
つまり、一度できたのだから、何度でもできるだろう、という理論です。
わたしは4年前にも失声症になりました。
今回も神奈川のお客様から「えみちゃんが声を失うことは死活問題」というメッセージが届きましたが、4年前のわたしがまさにそれ。
仕事人として死ぬことに怯え、世を恨み、堕ちる寸前でした。
そのとき、わたしがどうしたか。
このまま潰されていいのかを必死に考え、活路を探したのです。
本当に声がなければ、終わりなの?
目は見える、頭も動く、ただ話せないだけだよ。
話せないからお前に用はない、わたしのしてきた14年て、そんな程度なの?
ぐるぐる、何日も何日も考えて出した答えは、「そんなこと、あるわけない」でした。
話せないなら書いたらいい、筆談鑑定士と呼ばれてでも、わたしはこの仕事を辞めない。
そう決めた日から、徐々に声は出るようになっていきました。
半年が過ぎ声は戻りましたが、半年前と同じかどうかはわかりません。
今回も、元の声には戻らないかもしれません。
でも、大事なことはそこじゃない。
大事なことはわたしが渡す言葉であり、理論です。
わたしの声かどうかは大した問題じゃないのです、きっと。
むしろ、肉声を聞けた人はラッキーかもしれない、的な笑
昨日いらしたお客様は故人の通訳で、お筆書きの紙をお持ち帰りになりました。
その言葉を、わたしは読み上げも語りもしませんでした。
でも、それでいいのだと思うのです。
わたしが話せなくなっても、現場には出ます。
書けるうちは、タイピングできるうちは、どうにかして言葉を渡す方法があるうちは、わたしは現場に出続ける。
なぜならわたしは拝み屋であり、わたしと同じ仕事をする人は少なくとも京都にはいないから。
お筆書きをする人間は、恐らく関東にもいないでしょう。
だから辞めない、辞めてはいけない。
なぜなら、わたしは故人のデータベースである悼み人なのだから。
あとは、閻魔様と篁公の言うとおり、なわけで。
決めたからにはやるだけ、ただそれだけなのです。
貴方には、再取得したいものはありますか?
あるなら、解体して考えてみるといいですよ。
どうそれをしていたか、そうしたらきっとまたできるようになります。
人間案外しぶといです笑、楽しくしぶとく生き抜きましょ。
ねっ⭐︎