想うだけで誰かに影響する
2022/08/19
安心の家 西陣の拝み屋 えみこです。
本日8/19(金)はオンラインにてご依頼
承ります。
明日20日から22日まで夏期休暇、週明け23日
からは神奈川出張のため通常のご予約受付が
休止状態となります。京都での対面をご希望の
方は26日以降でお願い致します。
神奈川営業中は、一部オンライン対応可能です。
対面予約は絶賛受付中、詳細はこちらから。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
♪本日8/19(金)の更新記事、はじまりはじまり〜♫
冒頭でもお伝えしましたが、明日から三日間西陣の
拝み屋は夏休みを頂きます。
夏休み中はご予約以外の返信は基本止まります、
予めご了承下さい。
そして、夏休み明けは半年ぶりの神奈川営業!
半年行かないだけで、忘れられてしまったかー位
予約空いてますけど(しくしく)お時間ある方は
ぜひ会いに来てやって下さい、お待ちしております。
今後神奈川営業は不定期での開催となります、営業
期間中にタイミングの合う方はその機会を是非ご活用
ください。
で、本日の記事。
「誰かを想っただけで相手に影響いきますよ」という
お話。
西陣の拝み屋では、靈氣やその他エネルギーワーク、
スピリチュアルワークの中で遠隔などで相手の情報を
読んだり、直接お体に何かすることがあります。
それ以外にも例えば講座や鑑定でも相手の人生に触れ
たり、LINEが来たりすれば相手の方のことを想います
から、そこで相手に影響を与える。
反対に言うと、相手に連絡した段階でわずかにでも相手に
影響を与えてしまうことを自覚しておくべきだと思うんです。
知らないと言うことは幸せなことで、例えばネガティブな
言葉を使う場合、相手に届けようと思って使っているか
どうか。
以前「えみちゃんBlogにいろいろ書いているけど、あれ
当人が読んでいろいろ思われないの?」って言われた
ことがあるのですが。
京都は「秘するが花」という文化があって、そこは本当に
身につけるべきところだと思っています。
けれど、わたしの場合あえて「相手に届くように」それを
書いている節があるのです。
直接言うよりは傷が浅いだろう、という伝え方、どのみち
伝えたら相手にダメージを与えることが判っているから。
届けるつもりで書く=相手に影響を与える気で書く、そして
そこで与えた影響は確実に自分に向けて戻ってくる。
この世の原理は出したものが戻る、だから与えた分の
影響は必ず、受け取らなければいけない仕組み。
最も、その発動までにタイムラグがあるのも、また事実
ですが。
相手を思い過ぎて呪いレベル、よく講座や鑑定内でそんな
表現を使います。
これも結局は与える影響の強度の問題、育成の過程で
「相手に影響を与えず人と関わることはできない、与える
ならば、よい影響を」と伝えることがありますが。
自分にとっての「よい」が相手にとってもよいかは
また別の問題。
えみこが上洛を目指したとき、賛成してくれた人は片手
いませんでした、それは誰が考えても無謀でしかない
移住計画だったからだと思うのです。
しかしあれから7年が過ぎて、いまのえみこに対して
「だから辞めた方が良かったのよ」と言う人はまず
いません。
自分で考えても、あのタイミングが最善で、ただ一つ
思うのは大阪に連れて行かれていた一年間は要らない
回り道だった、ということだけ。
あの馬車馬のような時間が無かったら、きっともう少し
違ったルートで移住できたのではないかと思うのです。
でも、そうしたら今とは違う世界戦にいただろうから
それはそれで、いいのだろうけど。
ま、あの当時言われなく出禁にされた場所も「あなた
程度が人の名前使って仕事しないで」と言ってきた人も
(こちらはまったく相手の名前を使ってはおらず、単に
FBの システム上そうなっていただけのことだった
んですが)。
その経験があるから、大阪って怖いところ、という印象が
今も全く拭えておらず笑、ちょっと苦手な場所になって
います。
お前なんかまったくウエルカムじゃないよ、とたまに
言われるとしても、それでもやっぱり京都に居たいと思う。
判ってくれる人にだけ判って貰えたら、それでいい、
そもそも拝み屋なんてそういう存在なんですもの。
移住後市内南部で「あなたへの信頼を失ったら少しでも
おかしな動きをしたら即あなたを切って、わたしの周囲にも
そういいます」と言われたことはきっと生涯忘れない。
そのくらい、人格とか市民権とか奪われた存在が自分と
なんだな、っていうところからスタートしている。
そして、この経験は生涯脳に記憶されて抜けないし、きっと
相手は影響を与えるつもりでそう言ったんだろな、とも思う。
せめて相手にその自覚があって下さいよ、いまはそう願います。
お前に何かしてやろうと思ってそういった、そのくらいの責任は
影響を与えた側として持っていてくれよ、と。
京都で学んだ「秘するが花」という文化と感覚、それは死ぬ
までには身につけたい大切なこと。
きっと昔の都人は知っていたのだと思うのです、相手に影響を
与えずに生きるなんて無理、だからこそ、負えぬ影響に対して
は、秘するが花よ、と。
反対にわたしが育った海町は「言いたいことは言えよ」文化、
よく言われました「言われずになんて判るか、神様じゃあるまいし」。
この文化圏の違い笑、だからこそ、そのハイブリッドである自分は
影響の責任を持って発言していこうと思うのです。
ちなみに。
えみこは何も言わず、声も出さず、ニコニコしはじめたら危険。
それは、その人のすべてを見切った徴だから。
案外誤解されていますが、えみこは「言われているうちが花」。
無言でニコニコは、その人への最後の慈悲の徴なのです。
人間いろいろ、文化もいろいろ、そして人生もいろいろなんだよなぁ。