愛する力と、愛せる器
2022/08/26
器なくば受け止めきれず、力なけば
愛することが叶わない。
お目通しくださり光栄です、移動する
安心の家 西陣の拝み屋です。
本日8/26(金)はご予約満了となりました。
明日8/27(土)ご予約受付中です。
対面予約は絶賛受付中、詳細はこちらから。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
♪本日8/26(金)の更新記事はこちら
昨日京都へ戻りました、半年ぶりの神奈川営業、
実質一日半しか営業できませんでしたが。
ご来場下さった皆様、ありがとうございました。
来月も9/21~22の一日半で神奈川営業致します。
毎月来るの?と聞かれたら、そうじゃないけど、
と答える状況での再会。
遠隔介護ベースでの再開のため、9月以降はいつに
なるというお約束ができません。
病院の先生次第?笑。
京都に出てきて5年、お客様の医療従事者の方から
「関東と関西は学閥も違うし、いろいろ違うと思い
ます」と聞いていましたが、今回それを目の当たりに。
補完医療従事者だからこそ、理解できる部分もあって
こういうとき、本当に靈氣学んでおいて良かった、と
強く思うのです。
遠隔介護は看取りに一環含めて父の願いがあって
引き取りましたが。
結果として、いまのところ両親と家族どちらにもいい
方向に事が流れた気がします。
絶縁の危機をこれで二回乗り越えたことになる
のですが、遠隔介護を引き受けた=姉妹のはずが
一人っ子状態での介護着手になるわけで。
いろいろなことが起こってくるのはこれからかも
しれない。
そんなとき思うんです、相談できる身内はいた
方がいいな、やっぱり、と。
セカンドライフの形成について、啓発をしていこう
かな、と思うようになりました。
結局人は生きていかなきゃならない。
多くのお客様は「準備しているので大丈夫」
「いまそんな状態じゃないから」と申されますが。
実際やってみたらわかるけど、他人が関わる(しかも
中心人物として)介護の分野って、まぁ計画通りには
いかないわけです。
計画通りに親は老いてはくれないし、ある日突然
何が起こるか判らない。
それは我が身も同じことで、実際に関西の遠隔介護を
引き取った初っぱな、わたしはコロナに罹患し、親に
同行することができませんでした。
右も左も判らない京都のホテルに高齢の年寄り二人を
泊まらせて、翌日の検査に行かせる。
まぁ、どんだけヒヤヒヤしたことか・・・・・・。
でもそれは、今回移管した病院のドクターからしたら
「お父さんしっかりしてるし、何も娘さんが京都から
来なくても大丈夫でしょ?」と笑顔で言われること
なんですよね(うーん、さすがThe他人)。
離婚して14年一人で居ました、娘の結婚がきっかけで
自分もきちんと形をつける必要が出てきて、事実婚と
いう形で夫婦になりました。
もう葬式まで会うことはないだろうと覚悟していた
父から連絡があったのは、ちょうどその頃。
敬遠していた父とわたしを繋いだのは後に他人同然に
なる妹だから皮肉なものです。
妹が居るから親のことは大丈夫、が、大丈夫では
なかったことを知ったときの衝撃笑。
でもそれも結構介護あるあるなんだろうと思うのです。
見てくれるはずの人が見てくれない、は、以前の
婚家でもありました。
実父の失明、それに続く訴訟、さらに娘の高校受験。
(このときが初めての我が子の受験)
その時期に左手足を一気に骨折し、全治6ヶ月と
言われながら、勝手に自宅に帰ってきた元姑。
面倒を見る、と言っていた元舅は結局何もせず、
この介護は緩やかに次男の嫁であったわたしに
回ってきました。
靈氣があって本当に良かったと思ったのはこのとき。
全治6ヶ月と言われていた元姑は1ヶ月で歩けるまでに
回復し、整形の先生から「奇跡だ」と言われたそうです。
ま、離婚するときにはその靈氣を理由に叩くんだけど笑。
(恩を仇で返すやつ、本当に居たわ、ってなった)
このときの経験があるからきっと、いまそれなりに
冷静に事態を受け入れていけるのだと思うのです。
そして。
それは同時に自分の愛する力と、愛せる器がどのくらい
成長したのかをみせられているに過ぎないのだと思う。
器はまだまだちっさいな、と思った今回の神奈川営業。
愛する力も弱ってきているような気がします、あかんね
もっとしっかりしなければ。
でも、同時に思うんです。
残り時間せいぜい長くて30年と少し、それしか残って
いないわたしだからこそ、愛すべきものを限定し、そこに
向けて適正に愛を注いでいくべき時期じゃないのかな、と。
今回の神奈川営業でNarucoさんが営業終了後のご予約を
ご希望された方がいらして、初めての貸し会議室を利用
するためにはじめて夜の相模大野裏駅の裏路地に足を踏み
入れました。
人っ子一人歩いていない通りで、会議室の入室時間まで
目の前のマンション駐車場の花壇に腰掛けて待っていた
のですが。
貸し会議室がある向かいのマンションから空き缶とか
ペットボトルを投げられまして笑、まぁ怖かった。
人の姿無く飛んでくるボトル類、普段ならびっくりは
したかもしれないのですが、その程度だったかも。
でも、数日前に神泉の事件があったばかり、そりゃ
まぁ怖いです、得体が知れないから。
で、冷静になってみて、思いました。
あぁそうか、炎上のときもそうだったけど、突然
人に何か起こってしまう土地なんだよな、東って。
ずっとそこで暮らしていたからあのときは、備えたし
戦えるように実戦型の訓練もしていた。
もし東と往来を本格的に再開するなら、この自衛策も
同時に復活させないと、意味なんてなくなってしまう
んだな、と。
日本が安全な国、なんていうのは、もはや神話。
海外よりずっとマシなだけで、安全じゃないのです、
きっと。
いつの間にかそんな国になってしまった、その意味
では、まだ京都は昔の日本の感覚で街を歩けるかも
しれない。
生涯鎖国して日本から出ないことを決めているわたし。
そんな風に変わっていくこの国を一体どこまで愛せるかな。
八百万の神様がいる限り、そこは手を抜くわけにいかない。
ね?神様。
そうでしょう?
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