扉を閉めたら感謝とともに鍵を掛けて
2022/12/22
「ありがとうございます」と、唱えながら鍵を掛けて。
お目通し下さり光栄です、願いが叶う店・西陣の拝み屋です。
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お問い合わせが増えてきましたので、
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ついに冬至を迎えました、皆様の赤のゲートは閉まりましたか?
えみこは昨晩とても大きな音を立て、風圧ももの凄い中扉が
閉まりました。もう、あまりに風圧が凄くって、ちょっと一瞬
鍵を閉められないような状態になりましたが笑。
でも、靈氣の敷いた道の上にいるので、事前のお報せでこう
言われていました。
「ありがとう、って、言いながら閉めるんですよ」
戸締まりの話をしてから、結構「お返し申す」について話す
ことが増えていたのですが笑。そういえば、14年前離縁する際
師匠に言われたことを思い出しました。
「物事のご縁とは、感謝を持たねば終わりになりません。
そのためには無理矢理にでも『ありがとうございました』
と、言うしかない」
それをそのまま実行し、わたしは無事泥沼と言われた離縁を
成し遂げることができました。弁護士にも「よく離婚できたね」
と褒められたくらい笑。結局最後は感謝なのだと思うのです。
そして、その扉を最初に閉めたのはどっちで、鍵を閉めたのは
どっちか、きっとそういう話なんだと思う。
えみこの冬至の扉を閉めたのは、えみこではなく。
でも、扉が閉まるのを感じた際、鍵を閉めたのはえみ子自身。
だからこそ、もう二度と開けさせないようにしなければならない。
noteの記事でもお伝えしていましたが、この冬至から先は本格的に
平成じまいが始まります。そのため平成に置いていくものの仕分を
して欲しいとお願いしていたのですが。
えみこが平成に置いていくものに「馬鹿にされたことの怒り」が
追加されることが判ったのも、昨夜扉が閉まった後。
そして、「手を離すチャンス」だけを抱え、有り難うと言いながら
鍵を掛け、こう呟いたのです。
「産土神様、お返し申す」
昨日緊急で入ったとあるお稽古。そのタイミングが伝えていることは
「誰かが座れば、誰かが座れない」ということだった。そしてその
座れなかった誰かの功績と、座っている誰かの功績を比べたとき、
座っていても意味がない人を座らせることの罪を改めて突きつけられた
気がした。信頼関係がない人に、えみこができることは何もない。
どれだけの時間を積もうが、「これだけ高い対価を払ってきた」と
言われようが、そこに何の意味も無い。そして何より、それが高いか
安いのかを決めるのは渡す側、渡される側それぞれに権利がある。
この世に等価交換の原理原則が該当しないものはなく。
長く繰り返し言い続けてきたように、すべての現世の持ち物はその人の
ミッションの対価として与えられたもの。
ミッションは遂行しないけれど、何一つなくしたくないという人に
えみこができることは、もうなにもない。ただ、それだけ。
そんな願いは叶えられない、だからこそ、願いを叶えてくれる人を
探せばいいと思うのです。わたしではない誰かを、ね。
「わたしから後ろは居ない。だからわたしの前に座れたならまだ間に合う」
湘南時代から10年以上、依頼人にそう言い続けてきた。だからこそ
「でも先生の後ろは居ないんでしょう?」と言う人が現われて。
それは裏を返せば「座り続けたら大丈夫にしてくれるんでしょう?」と
言われたに等しい。扉を閉めて鍵を掛けたとき、最初に言われたことは
「本当のことをそろそろきちんと言っていけ」と言うことでした。
えみこは「ミッション最後の砦」と依頼人の方に伝えています。
わたしの前に来る前に何人かの導師が遣わされている。そして、その導師
では届かなかった人たちがわたしの前にやってくる。
それは、ある側面ではまだ間に合う、という証だけれど、ある側面では
「取り上げるかどうか、審判が始まった」ということでもある。
座る、ということは、審判を受ける、ということ。座り続けた結果(審判を
受け続けた結果)は、いつか必ず形となって現われる。それは本人の意思とは
関係なく、またえみこの意思とも関係なく、天の意向となり地に齎される。
その意味では、とうに平成小野篁だったのかもしれない。
現世(物質)を守るためにえみこの前に座り続けても、意味は無い。
また、座る権利がないものがそこに座ろうと虚偽を働くことにも。
騙すように座ったところで、結局審判が始まるだけだから。
「えみこが自ら去った場所は、3年以内に潰えるか、形が変わる」
昨日、扉が閉まる前にそんな話をしました。この20年例外なく自ら
去った場所はそうなってきているから。
京都に来て5年、この5年間いろいろな場所へご縁を頂いてきました。
場所を移動するために消えた場所もあれば、反対にえみこ自ら去って
きた場所もあります。その場所が、京都でも3年以内に消えたり形が
代わっていくのか、確かめるタイミングが来たようで。
言われてみたら、これは平成に生まれたえみこのミッションのルール。
そのルールが令和も適用されるのか、これから確かめていくんだなぁ。
「えみこさんが、どれだけ修行しても対価が変わらないのが不思議」
もう8年くらいご縁があるお客様に、先日そう言われました。
えみこはいつまでも前のえみこではなく、京都に来てからもこの5年で
できることも、やれることも、やっていることも増えたし変わった。
それを否定したり、理解できないのであれば、必要が無いのだから
前に座る必要も無い。
判ってくれる人にだけ、本当に必要な人にだけ、届けばいい。
そのことを、教えてくれてありがとうございます。
昨日、とある生徒さんと話したこと。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
大きな冠(評価)をかぶるものは、その重みに耐えなければ
ならない。
えみこがいま載せているのは、まだティアラくらい。
さほど重たくもなく、だからこそ「あれくらい大したことない」
と言われてしまうのだろうと思う。
えみこは自分が経験していないことは人に教えられない、だからこそ
経験したことを追体験していくような依頼人や生徒さんがくる。
冠の重たさを知らないと、後進にそのことを教えられない。
だからこそ、そこそこの冠は死ぬ前にかぶってみたい。扉を閉められて
はじめて、本当にこの世界に入って初めてそう思いました。
それがどれほど重たいと言われても、その重たさに耐える方法を知る
ためにかぶってみたいとわたしは思う。
ある生徒さんに言われました。
「先生が先を歩いていたから、わたしたちはその何分の一かでこれが
わかるんですね」
と。
うん、そうなんだよね、何言ってるか判らないなら、自分で探せば
いいだけのことだもの。言ってないことを言ったことにされたり、
やっていないことをやったことにされる世界には、もうさようなら。
この先は、聴く耳があり、理解する努力をする人とだけ生きていくと
決めたから。
判るか判らないか、ではなく。判りたいと思っているか、が問題。
あなたの人生の問題は、あなたにしか解決できないのだから。
目の前に座り続けたら、何もかもなんとかなる。
お金を払ったら、なんとかなる、そんな世界はもう終わるのだから。
今朝読んでいた本に書かれていた言葉。
「この世には、絶対に受け取ってはいけないお金というものがある」
あぁ、それ、離縁するときにも言われたなぁ。
対価(お金)を貰うことで契約が成り立ってしまうから、と。
だからこそ、いまそんな局面にいる人にこれだけは伝えたい。
もし、受け取ってしまったお金があるのなら、それを返せとか
そういう話ではなく。
そのお金がどんな契約の元に自分の手元にあるかをきちんと
見定めて欲しいのです。
契約不履行なら、ペナルティがくる。
でも、契約に則ったお金なら、何ら問題は無い。
要は受け取るとき、何の対価としてそれを受け取り、その契約に
どのような「重要説明」が含まれていたのかによるのだから。
約束とは、契約のこと。
ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。
指切った。
遊郭で歌われていたとされるこの歌の意味。
どうか、どなたさまも身をもって体験されませんように。
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