闇の靈氣、光の靈氣
2022/12/29
闇の靈氣は、光のつもりで病(呪詛)を処方する。
お目通し下さり光栄です、やんごとなき霊媒師・西陣の拝み屋です。
本日12/29(木)は、オンラインにてご予約承ります。
明日12/30(金)は営業納め、15時閉店となります。
12/31(土)~1/2(火)は年末年始休みを頂きます。
お問い合わせが増えてきましたので、
コロナ陽性者の利用についてまとめました。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
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↓↓ 12/29(木)の更新記事はこちら ↓↓
年内の営業も今日と明日のみとなりました。
29日で納めるはずの仕事を30日まで繰り延ばし
15時まで営業することに決めたのは数日前。
途端にテトリスのようにスケジュールが動き、
移動する方、そしてタイミングを逃して予定していた
予約に入れない方が出た27日寅の日。
入れ替わるように、年末バタバタと決まったとある
モニターの御依頼。まさかそれが年内の靈氣納め
しかも時限爆弾になろうとは、思いもしなかった
水星逆行の前日。京都に来て、龍神靈氣が誕生した
2018年までスコーンと、ジャンプして参りました。
えみこが龍神靈氣を名乗るようになった理由のひとつに
2018年に触れた靈氣の呪詛がありました。
最もそのときはまだ、呪詛という自覚はなく。
それが3年経って、少しだけ京都で靈氣伝授をした経験が
土地に認められるようになったのかもしれない、と思えた
昨日の依頼。
2010年に「病を処方する手」の追求と解除の研究を始め
今年で12年。その先に巡っていたものが形を変えて目の
前にとんと置かれた気がした年末の時間でした。
久々に沸点高めの怒りが身体を駆け巡り、我が身を天に
委ね、誰かが躯体を借りて涙を流した時間。
霊媒が霊媒として、同時に妖として、務めを果たした時間
だった、そう強く思えるある意味靈氣の仕事納めの瞬間。
丁度終わったくらいの時間に、霊媒としてひとつ舞い込んだ
お話があり、昨日の仕事の対価が天から払い出されるのは
きっと、これからなのだ、そう思っています。
20年、臼井靈氣というものを観てきました。
雲泥の靈氣を知れと言った我が師の言葉に縋るように歩いて
きたこの20年。しんどくて、辞めてしまおうかと思った新人
時代を経て、やがて「見えない世界の住人」となるための
洗礼を受ける時間が始まって。気がつけば、スピリチュアルの
毒も甘露も味わってきたような気がするのです。
同時に雲泥等という言葉では済まない靈氣の光と闇を観ること
にもなったと思う。
五年前、この街に来てまもなく、とあるイベントへ呼ばれました。
「居るだけでいいから」といわれて連れて行かれたはずのその
イベントは気がつけば、意思と関係なく出店することになり。
同時に「京都の血が流れていない」ということで、随分辛辣な
物言いもされた場所となりました。
この街に馴染もうと必死だったあの頃、そしてそんな気持ちを
巧みに利用していったとある人たち。
あれが京の洗礼、と言われたらそれまでかもしれませんが、
その場所が京かどうかはまた別の問題。
個人的には、そこを京とは思えないですが、それはきっとわたしが
海町育ちの漁民だからなんでしょうね。
まぁ、生まれは変えられないから生涯漁民です、何と言われようが。
そして、そこには一端の誇りがある。
その場所で、忘れられない一言を言われました。
「小野篁を名乗っているの?」
わたしにそう、訊いてきた人が居ました。
平成小野篁、その肩書きに反応されてのことのようでした。
その人は「靈氣療術師」を名乗り仕事をされていて、伝授や
人を集める場を営んでいる長でもあるようでした。
小野篁を名乗っているの?、そう聞いた後、こう言われました。
「僕ね、小野篁の子孫なんですよ」
その方の姓は小野ではなく。でも、本人が言っているのだから
そうなのでしょう。そのときは、そう思いました。
やがて、その場で見えない世界の光と闇が交錯するできごとが
幾つも続き、その人の靈氣人としての仕事の片鱗を眺めることに
なりました。
それは、わたしが関東で受けた教育とも、理念とも一ミリも
重ならない、そんな仕事の仕方でした。
それでも、その人が言った「小野篁の子孫である」という
言葉が引っ掛かって、何度か連絡をしたことがありました。
ところが。
その連絡に返信が来ることはなく、それどころかいきなり
ブロックされたのです。身に覚えがないので(というか、
殆どまともに話してないので)本当に困惑し、やがて
「お前が嫌い、と言われたのね」と解釈し、近づくことを
辞める選択をしました。
あれから5年、その人のことを忘れかけたころに、靈氣の
闇として目の前にその人の情報が巡ってきたのです。
わたしにはそれが篁公からの指示に思えて仕方なかった。
平成小野篁を名乗り、篁公を調べ、追いかけ暮したこの5年。
毎月閻魔の日にえんま堂にある篁堂にお参りし続けたこの
数年、仮に人から「勝手に篁を名乗りやがって、身の程
知らずが」と言われても「いや、それなりのことをして
いますが?」と答えられるくらいには、篁公について
語ることができるようになった、と自負しています。
だからこそ、いまこの話が巡ってきてくれたような気がして。
同時に篁公があの厳しい目で言われたような気がするのです。
「そこに闇の靈氣というものが処方されているが。
お前、そのままにしておいていいのかね」
言い訳あるかーーーーーーーーい!!(激怒り)
この闇に対し、どこまで解除できたかはまだ判らない。
だって、闇の靈氣師の仕事なんて、皆目見当もつかないから。
ただ、とても受け入れられない仕事をしていることだけが判った。
本当に本当に、腹立たしい程の何かが自分の中を駆け抜けた時間。
だからこそ、とことんやってやろうと思うのです、解除できるまで。
そして。
もし、闇の靈氣師なんかじゃないと堂々と言い切れるなら。
出てきてきちんと証を立てて仕事を見せればいいと思う。
京都の血が一滴も入っていない人、と言われて早7年。
篁の血を引いてもいないのに篁を名乗っている、と
暗に言われてから五年が過ぎようとしている。
でもね。
思うんですよ、最近。
京都の血が一滴も入っていなかったら、この街を好きに
なっちゃいけないのだろうか、と。
この街で働き、暮しちゃいけないのだろうか、と。
同じように、篁の血を引いていなかったら篁の名前を
名乗ったらいけないのだろうか、と。
肖り名って、言ったりするけれど(えみこはそうじゃないけど)
名前の使い方とか使われ方って、色々あると思うけど。
何より。
血が入っている人が闇に堕ちているのだとしたら
篁公は、一体どう思うんでしょうね。
ま。
あたしがここで何を訴えようが、きっと気にも
されなければ、取るに足りないこととされることは
よくわかっていて。でもそれでも、いうのだけれど。
おかしなことはおかしいと、言うべきだと思うし
間違いは正すべきだとも思うんですよ、個人的に。
そして、仮にどんな風に思われているとしても
長く愛して必死の思いで住み着いたこの街にわたしは
骨を埋めたいと思っています。
いいんだもん、土地神様とはどうにか、わかり合えている。
そんな気がするから(異論はすべて却下します)。
来年はこの街で、せめて気の合う友だちができますように。
ぱんぱん(柏手)。
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