名もなき毒
2023/01/03
※本Blogは「Dr.コトー診療所」のネタバレを含みます。
閲覧はご注意下さい。
えみこの居ない世界のための、準備を始める令和5年。
お目通し下さり光栄です、やんごとなき霊媒師・西陣の拝み屋です。
本日1/3(火)より変速にて2023年の営業を開始致します。
本日のご予約はお問い合わせ下さい。
明日1/4(水)はオンラインにてご予約承ります、対面デーも開催します。
1/4(水)、6(金)は対面デー、お得に対面鑑定をご利用頂けます。
対面デー以外のご希望は別途承ります。
お問い合わせが増えてきましたので、
コロナ陽性者の利用についてまとめました。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
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↓↓ 1/3(火)の更新記事はこちら ↓↓
何を思ったか昨日の記事が長すぎたので、本日は気をつけて
そこそこの長さになるよう書いていこうと思います。
本日2023年の仕事始め、元気に今年の営業開始となります。
旧年中は大変お世話になりました、本年もどうぞよろしく
お願い致します。今年のお正月は連日映画館に通っていました。
元旦が「かがみの孤城」そして2日目は「Dr.コトー診療所」、
二本の映画で感じたことは、いかに令和の時代が変わった世界に
なってしまったか、ということ。
同時にこの逆行で戻された「忘れ物」の一つに「靈氣界からの
引退」という課題があることを突きつけられたのです。
いまから12年前の2011/2/9、えみこは所属していた組織を実質
破門と言う形で独立しフリーになりました。その際、わたしに無断で
「あの人はもう引退したよ」という公示を出されてしまいまして。
しかもそのことを生徒さんからの報告で知る、というね笑。
いやー、なんかもう、いまでいう炎上?結構凄かった。
いろんな業態で働いてきて、採用面接で試験官に笑われるくらいの
職歴を持っているえみこですが、ここまでひどいのって芸能界でも
ないんじゃない?と、ちょっと思ったできごとでした。
京都に来て、この話をしたある生徒さんに「そんなの気にしないで
名前も屋号も使ったらよかったのに。そこまで義理立てしたなら
いまだって名前は名乗るべきじゃない」と言われたことがありますが。
うん、それが洗脳状態というものなのだと、いまなら明確に答えられる。
恐怖政治の恐ろしさを身を持って体験しているのがわたしなのです。
個人的にそこからの数年は地下に潜って靈氣を続け。公認資格を剥奪
されても靈氣人でいたかったわたしは今のテキストの原典となる「詞波
靈氣(このとはれいき)」を立ち上げて、後進育成を始めました。
けれど、屋号も名も取られ、挙げ句に当時霊能力修行(今思えば)で
ついていた先生につけられた名があり、人生はどんどんひどい方へ。
そして、一月もしないうちにあの震災があり、靈氣伝授を辞めることに
なるのです。わたしはこれを靈氣人による呪詛だと思っています。
言葉の力に靈氣が宿ったときに何が起こるか、それを明確に体験した
究極の「病を処方する手」なのだと。
「Dr.コトー診療所」が放送されたのは、いまから20年前。
丁度わたしが業界に入ったころのことでした。
大好きだった吉岡秀隆という俳優さん、でもその始まりは実は1984年の
楔の元に繋がっていただけだった。そして、その元が作った楔は2019年
綺麗さっぱり抜けました。抜けて始めて、あんなにも大きく自分の人生を
捉えていたのだと気がついた。同時にものを観る視点が変わったことを
よく覚えています。昨日は、そんな新しい視点を持ってみたコトー先生。
そして、長いこと前世からの特別な場所であった沖縄の地、その二つを
同時にスクリーンの中に眺めていました。
感想を言うなら「あり得ない」の一言、見終わって最初に家族に言った
一言が「平成の時代ってさ、コンプラもなにもないでたらめな時代
だったんだね」。うん、本当にそれ以外なんの感想も持てなかったのです。
今朝のFBの過去記事で「名もなき毒」という自分がかつて書いた話を
目にしました。当時小泉孝太郎さんがやっていた主演ドラマの話、
原作は宮部みゆきさんだったと思います。2013年放送のこのドラマは
震災前後の社会がどんな空気感だったかを思い出す一つのヒントになる
気がしました。そして、昨日のDr.コトー診療所。この30年の間に社会は
「トリアージ」という文化を受け入れざるを得なくなりました。
最初は阪神淡路大震災、そして東日本大震災。震災時に行われてきた
トリアージはいまや医療崩壊寸前の医療現場でも無視できなくなっています。
やがてこれらは介護の分野にも容赦なく入っていくことが予測できる。
同時に精神疾患の世界や、もしかしたら教育の分野でも既に始まっているの
かもしれない。えみこがこの記事を記録のようにFBに書いたのは2016年年初。
そのころからもう「トリアージ」について、受け入れざるを得ないものとしての
認識があったんだな、と改めてびっくりしましたが。
平成を生きるコトー先生は、トリアージをしないのです。自身が倒れても
周りがパニックになっても、一切トリアージすることなく、むしろそれを
拒否して「全員助けます」と言い切る。それって一見もの凄く美しい話に
見えるけれど、その実非現実的で誰のためにもならない。これ、新人さんに
もの凄くあるあるなお話なんですよね。その結果、コトー先生不在の島は
現実的にみたら医療が回らなくなってしまっている。
そして、こんなスーパーヒーローがいるどこかの島の話をテレビで観て、
人々が感動し、なんなら移住とか、病気は治るとか、思い込めた時代。
でもそんなの、現実にやってみたら一瞬で吹き飛ばされて覚める夢だと
思うのです。治らない病気じゃないとしても、生存率の低さは変わらず
あるわけだし、患者さんの精神力や基礎体力によって全く辿る経緯は
違う。それは肉体的疾患だけではなく、見えない部分も同じこと。
この物語、結局観ている誰が幸せになったのだろうか。まぁ、よかった、
といっている友人たちも居たので、感動した層はいるんだろうな。
それが、観終わった後の正直な感想。観なければ良かったとは思わないけれど
劇中で泣いたのは本編と全く関係なく、天と話をしたその瞬間だけ。
(映画中を介して伝えてくるのは多分令和も継続、そして元旦からかい)
その人の「大丈夫ですよ、僕がなんとかしますから」が結局は、誰かの
特効薬になってしまい、その結果「死ぬことができない人」を作り上げた。
長生きできる保証があるならそれでもいいけれど、人間明日のことは判らない。
だとしたら、それってとりあえず駄目なのでは?まして医療従事者がそれを
やっちゃったら、名もなき毒になりはしないんですかね?
等々思いながら映画を観、終わってまっすぐラーメン餃子食べに行きました。
(つまり浸る余韻も何もなかった、というオチで)
12年前、本来育ての親であるはずの師匠(それも組織の大先生)に勝手に
死んだことにされた靈氣人えみこ。生徒さんから「先生、引退するって
どういうことですか?」という連絡を貰って、ようやく事態が飲み込めて
最初に思ったことは「勝手に殺すな!生きてるわ!」ということでした。
知っている人は知っていると思いますが、えみこは独立前に孫教室から
本部教室へ引き取られた経緯があるので、最後の家は貰われた家になるの
ですが。結局義父母継父母ってこんなもんなのか、と思いつつ、だからって
生きている人間の息の根を勝手に止めていいのかい!と強く思った経験。
年末の少し前から読んでいるこちらの作品。
「子供を殺してください」という親たち ベストセレクション――「家族の恐怖」編 (バンチコミックス)
別のショップのリンクを追加・編集
なんかもうね、結局当時の自分もこういうことだったんだな、とか
思ったりするわけです。まさに家庭に蔓延する「名もなき毒」。
えみこはいまもこうして京都で生きているし、お仕事もしているし。
でもあのころは「仕事をしないなら命は取らないで居てやる」と
言われたような恐怖と常に戦っていた。そしてそんな状況こそが
病を処方された状態だと強く認識しているのです。
まぁ、Blogに書いたことはSNSの大海に手紙を入れた瓶を流すような
ものだから(この記事含め)消すことはできないわけで。
破門から数年が経って別の生徒さんがその記事を見て「随分綺麗な
こといってたけど、あれってどうなんすか?」と言われたことが
ありましたが。うん、だからそういうこと笑。
平成に言われてきた信頼と、令和で通用する信頼はまったく質の
違ったことだと思っているのです。
えみこも、いつかは居なくなるのです。死なない人は居ないわけだし、
それでも「先生少しでも長生きしてくださいね」と言ってくれる人もいる。
そんな人が増えていくことこそがきっと、信頼なんだろうなと思うのです。
でも、同じようにみんなから必要とされて、信頼されて、その結果倒れても
応援されて、応援によって息をふきかえしたコトー先生には、やっぱり
「オイ!んなわけねーだろうよ」と突っ込みを入れていた自分がいますが。
そして強く思ったわけです。
「えみこが明日居なくなってもいいような世の中をつくっていかねばならない」
逆を言うなら、明日えみこが居なくなっても困らない人たちに使う命は
持たなくていいってこと。だから、来れるときに来て、しっかり学んで、
すべてを吸収してくださいね。そんな風に強く思うわけです。
だって少なくとも12年前に一度は「あいつなんて消えればいい。消してやる」
と思われて、実際にそうされたってコトじゃないですか。
いつも言うけれど、物事って想像だけなら罪にはならないけれど、現実に
動いたらその事実が持つ力というものがあるわけです。少なくともえみこは
一度この世界で死んだ人にされてしまったという現実がある。
だとしたら、ここにいるのは蘇ってきたえみこなわけで、そんなえみこが
また死なない保証はどこにも無いと思うんですよね。ましてや勝手に
消されない保証なんてもっとない。
知る人ぞ知る存在になれるほどの実力があるわけではないけれど。
いつだったか、居合いの師匠に言われたことがありました。
「あなたのような人が末寺(街中にあるお寺)にいるのは珍しい。
普通は本山(大元)におるやろう」
そうですねぇ、そろそろえみこも本山に籠もれるような生活を作って
いかなければならないのかもしれませんね。
これ、令和15年分の目標だな。
令和20年が来たら、隠れ里に籠もってくださいよ、ってことかも。
あと15年・・・・・・神様それまでに末寺でやれることは全部やらせて
くださいよ。そうしたら、本山に籠もっても、いいかもしれない。
まだ、約束はできないから「か~もしれない」って答えておきます笑。
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