罪の意識は、脳の産物?
2020/06/15
心は脳と、どんな風に手をつなぐのかな。
お目通し下さり光栄です、京都のオンライン
脳科学コーチング 西陣の拝み屋です。
本日6/15は、オンラインにてご予約承ります。
20時〜22時のみ受付中、ご予約はこちらから。
罪の意識。
これは「罪悪感」とも言い換えられます。
さて、あなたはこの「罪悪感」を、どう使っていますか?
自分を罰するのに使う人、反対にエネルギーにしていく人、様々です。
某芸人さんが連日ニュースを賑わせていますが、西陣の拝み屋的には罪悪感をエネルギーにしていたタイプなんだろうなと思います。
脳が報酬を求めて動く性質があることは、何度もお伝えしていますが。
本来脳が求める報酬は「快」、つまり喜びです。
これが曲者で、この快が正しく心と手を繋いでいないと、おかしなことになるのです。
しかも、厄介なことに人間には「慣れる」という機能がついています。
この慣れるは、「麻痺」と紙一重のところを歩いていきます。
これが悪く作用すると、劣悪な環境でも快を得ることができてしまうわけで。
なぜ、そんなことになるんでしょうか?
人の心には「善行により、快を得る」感性が備わっています。
一方、それができないとき、脳が餓死しないように「悪を楽しむ」ことで、飢餓状態を回避する作用が入っているのです。
なぜ、悪を楽しめるか。
元々脳には善悪の区別はありません。
そこで得た刺激に対し、快と判断したか、不快と判断したかがあるだけです。
しかも、脳は慣れますから、その刺激にもどんどん慣れて満足しなくなる。
これは、善行も悪行も同じです。
そして、悪の方が遥かにわかりやすい。
刺激の質が違うのです、インパクトがある。
虐待がエスカレートして、殺人に発展する脳的構造がここにあります。
その根底には、その人の罪悪感が複雑に関係しています。
支配的な人は、まずゆっくりゆっくり、その人に罪の意識を刷り込んでいきます。
幼少期から生育過程でこれを行う親が「毒親」とされ、罪悪感でがんじがらめにして、自由を奪います。
しかも、無意識に正義感を持って奪う、その背景にあるのは負の連鎖。
そうすることで、自らの罪悪感を動かし、脳を満足させているのです。
この連鎖を止める方法は、罪悪感の使い方を改めて行くこと。
シンプルに裁かずに生きる道を選択することです。
この世には、正解はありません。
好きと、嫌いがあるだけです。
正義はシステムであり、万人が同じではない。
ただ、社会生活を円滑にするためにみんなで決めたルールはあります。
それが法律であり、いわゆる「常識」と言われる暗黙のルールです。
それを知らないと困るので「作法」「マナー」と呼ばれるものが存在します。
みんながそうすることで、安心できるから。
だからこそ、そこをないがしろにし、侵すことで罪悪感をうまく利用し、その刺激を報酬とする脳の構造が生まれてしまうのです。
これを長く続けると「病気」と言われるものが生み出されます。
脳と心がうまく手をつなぐには、感性を媒介にする必要があります。
些細なことも刺激=快として受け取れる感性を育てなければなりません。
そのためにどうするか。
柔らかく、美しいものをたくさん観るのです。
繊細なものは壊れやすいし、わかりにくい。
だから、わかるまで何度も何度も繰り返し観て感性を育てていくのです。
昨日、ある映画を観ました。
たまたま、京都が舞台の映画でした。
観終わったら、何故か泣いていました。
なぜ泣いているか、形容し難い感情があり、しばらくただ、感情に任せて泣いていました。
京都に三年暮らしたいまだからこそ、わかる話で、きっと神奈川時代に観たら理解できなかったろうと思います。
まだ、言語化できるまでには脳が理解できなかったわけだから。
それでも、心はそれを理解し涙を流した。
だからこそ、自信を持ち言える。
感性は環境が育てる。
どんな環境に身を置くのかは、あなたの心と脳の健康管理に多大な影響があるのです。
令和のキーワードは、健康。
病院でわからない病には、特にお気をつけて。
あなたの脳と心は、健康ですか?