大林宣彦監督の宿題
2020/08/16
わたしは、貴方を悼み、生涯決して忘れません。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
京の巫女 西陣の拝み屋です。
本日8/16は、オンラインにてご予約承ります。
13時〜16時ご予約受付中、ご希望の方はこちらから。
昨日はお休みをいただきました。
ご連絡いただいた方には本日順次お返事してまいります。
いましばらくお待ち下さいませ。
10年ぶりのお盆休みは、休んだようで休んでいない時間でした。
それはある意味当たり前で、野良の巫女であるわたしの365日は神様のものであり、神様の時間の中で守られて生きるのがわたしという存在なのです。
10年前は、それが本当に苦しかった。
2011年、わたしはその時間軸から逃げました。
結果生きた屍のようになり、「ただ生きているだけ」の人になりました。
心が震えることもなく、身体が騒めくこともない時間。
そんな時間の始まりは「女を道具としか思わない」人間と過ごしたことがきっかけだったことに気づいた日。
2020年8月15日は、わたしだけの終戦記念日なのかもしれません。
人を壊す壊し方を知っていますか?
その人から志を奪うのです。
志を奪われた人は、やがて愛を見失います。
そして気づいたら、人として壊れているのです。
いまから150年前、この國はそうして人を壊しに掛かりました。
志を持つものは次々とあやめられ、やがて「文明開花」の名のもとに「権力」という劇薬にその身を落としていきました。
一度口にしたが最後、なかなか抜け出せないこの妙薬を、誰もが求める時代が訪れ。
やがて、あの嵐のような時代が来ます。
戦争、という、ね。
広島尾道に「大林宣彦」という映画監督がおりました。
尾道三部作と呼ばれる作品が公開されたのは、いまから40年近く前。
そのひとつが眉村卓さん原作の「時をかける少女」、通称「時かけ」。
でも、大林宣彦作品で一番記憶にあるのは同じ眉村卓原作の「ねらわれた学園」。
あのころは、難しすぎてよくわからなかった大林作品。
そんな大林監督の最後の作品「海辺の映画館」を昨日観てきました。
全編三時間、映画で戦争の歴史を追いかけるこの作品。
観終わって、あまりの衝撃にしばらく頭痛が取れず、へんな気持ちの悪さがずっとありました。
そして大林作品らしい、輪廻転生を思わせる演出。
何度静かに泣いたかな、知らないうちに流れていく涙を見て、心が震えるって、こんなことやったな、と思い出していました。
わずか150年、その間にこの国は変わりました。
敗戦後のこの国は、実は明治維新からなんら変わっていないのだと、教えられた気がして。
拝み屋論の新たな仮説検証をこれからスタートしていくことになるのだ、と、知らされた日。
「命」とは、貴方が人生を生きる時間です。
そう、講座では繰り返し伝えてきていました。
でも。
それはまだ、命の半分に過ぎないよ、と教えられた昨日。
正しく命とは、貴方が人生を愛のために生きる時間。
時の仕組みは理解できた。
次は、愛の構造解釈からやり直さなければいけない。
自由、という名のもとにわたしたちは、そこをねじ曲げてしまったのだから。
きっと。
17年、家系を癒す力を得るために生きてきました。
家系浄化専門、という自負は大いにある。
でも。
それが半分でしかない、というなら、あとはやるだけ。
次の20年をかけて、愛についても理論体系を作り上げてみせる。
わたしは、人類を諦めない。
それが、わたしの志だから。
人類、と呼ばれる存在も変わり出しました。
令和の世は、もう平成のようにはいかへん。
だからこそ、決めたんです。
わたしは、大和魂を諦めない、とね。
大和魂を護らずに死ぬことだけは、しとうない。
それから、この命を愛のために使い切らずに死ぬことも。
そんなん。
まっぴらでありんす。
西陣の拝み屋のくせに、島原で仕事をしているのは、わたしの中に棲む島原太夫の為せる技。
でも。
どうやら太夫はんとも、そろそろお別れしな、あきまへんな。
11月のゲートは、ほんまにキツい関所になるんかもしれません。
しっかり講座で伝えて行こう。
だって。
わたしは、生徒さんの靈を守るために居るんやもの。