壊れた世界の歩き方
2020/09/01
9/1は防災の日、人生の防災準備もお忘れなく。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
日本にひとりの臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日9/1は、ご予約満了となりました。
明日9/2は、オンラインにてご予約承ります。
明日は魚座満月の開運ワークも受付中、ご希望の方はこちらから。
9/1は防災の日。
1923年の関東大震災に由来するこの日、あと3年で発災から100年を迎えることを、皆さまお気づきでしょうか?
そして、西陣の拝み屋が使う臼井靈氣は、その前年1922年の大発見なわけです。
こちらは、あと2年で100年目を迎える。
そこでいつも思うのは、震災が来るから靈氣を発見して、そこに間に合うように東京にいかはった?ってこと。
ま、諸説あろうとは思いますが。
いまから約10年前、東日本大震災がありました。
今度の3月で丸10年。
あなたの10年は、いったいどんな風でしたか?
わたしの10年は、まあ波乱万丈でした笑
二度と手放すことはないと靈氣を得た17年前、それが被災を機に二度と仕事にはしないものへと変わり。
天にも神にも背を向け唾を吐き。
ただ最大の救いは、わたしが愛情馬鹿であったこと。
なにかを愛する力だけは最後まで失わなかった、そのことがいまのわたしを作っています。
2011年から緩やかに仕事としての靈氣が苦痛となり。
それでも当時は辞められない理由があり細々行っていました。
完全に封印したのは2012年の3月。
それからは普通の人(見えない世界に縁がない人)としてトリプルワークをするシンママとして生きていました。
ひとりで私学に通う17の子を養う日々、発災の年に20歳を迎えた娘は家を出て独立していました。
不安な中、夢のために都内で暮らし始めた娘に対し、親らしいことをなにひとつしている余裕がなかったことがいまでも悔やまれます。
役者になる、という我が子の夢を支えるだけで精一杯だったあのころ。
結局5年細々舞台に立ち続け、本人の意思で舞台を降りる道を歩かせてやれたことだけが、せめてもの救い。
勤務先での社長や主任からのパワハラ、詐欺まがいなNPO、まあまあ当時の話をすればブラック企業のオンパレードでネタには困らない笑
わずかな救いがあるとするなら、湘南という土地で二束三文な人として扱われていたわたしに、東京、横浜という土地はある種の評価をくれた、ということだったかもしれません。
何もかもを捨てて逃げるしかなかった離婚。
あれは、わたしの人生に起きた「災害」です。
トリガーとなったのは、婚家の姑でした。
「そこは危ないから逃げてください、なるべく早く」
あのときの代理人の淡々とした一言が、人生初の緊急警報だったのかもしれません。
二度目の緊急警報は、一年前。
ネット炎上が元で殺害予告が拡散されます。
京都の自宅はもちろん非公開のはずの湘南の自宅も特定され画像拡散。
その際誤報で隣家の方が表札付きで公開されてしまい、理由は告げずに転居されました。
ずっと申し訳なさしかなかった。
殺害予告が出ている中真夜中に徒歩で息子をひとり帰宅させた藤沢警察への怒りと絶望。
怒鳴り込もうが、聞いてくれない神奈川県警。
何度警察とやりあったか。
京都の自宅にも侵入を試みられ、警察官に護衛されて帰宅すること数回。
シェルターに入り、社会生活を一時お休みしませんか?と、お巡りさんから提案されたこともあります。
命を失うより、ずっといいだろうから、と。
親身になってくれている警察の方に真っ向から「わたしは発災後一度死んでようやく社会に還った身です。次死ねば三度目はありません。死んだも同然になるシェルターに入るのは絶対嫌です」と噛み付いて命の尊さを深夜の交番で懇々と説かれたこともありました。
最後に「お気持ちはわかります、しかし、市民の命を守るのが我々の責務なんだ!」と言い切った巡査さん。
まあ、惚れるでしょ笑←あれ?違う?
使命感は大好物、いつかあのお巡りさんにお礼できる日が来ればいいなあ。
(その節は、ほんまにありがとうございました)
西陣の拝み屋は、常に爪先立ち笑
「人気があって予約が取れない」というデマを流され予約の入らない時期を経て(現在も継続してますけどね笑、お席毎日たくさんありますから!)、久々に某社の入社オーディション受ければ新人と同じ扱いをされる始末笑←キャリア17年ですけど、一応。
あー、世の中的に二束三文なんやなあ、と感じたくなる現実がありますが。
でもそれも、脳がみせる罠なんですよね。
湘南で生きた15年、さらに言うならそれまでの人生で植え付けられた無価値感を洗い出すための見なければならぬ鏡。
自分の価値を信じてくれる人に、京都に来て出会いました。
そうしたら、神奈川で価値を見出してくれていたひとたちに気づくことができて。
世界が色を変えていきました。
なにより。
わたしという人間は、なにかを愛せているうちはくたばりはしない、と教えてくれた仲間たちがいたのです。
彼らに出会ったあたりから、この世界に復帰する道が開き。
あれから6年をかけて、いまがあります。
最近、気づいたことがあって。
許せないことが起きたとき、それまでの世界は壊れていく。
でも、その許せないこと以外まで否定してはダメなんだな、と。
その世界は、壊れてしまったけれど。
もう二度と元には戻らない、なぜならもう必要がないものだから。
でも。
そこで作り上げた現実や思いまで否定することはないんだよ、ということ。
精一杯やったし、愛したし、方法がちょっと上手くなくて、歪ませてしまっただけ。
許せない、ってなる前に気付けたら、間に合ったかもしれない。
でも。
歪みすぎて壊れてしまったら、もう直すより作り直したほうが早い。
ただ、それだけだったんだな、と。
前はできた、が、通用しない時代が来ました。
それでも楽しく生きるために、するべきはひとつだけ。
「明日またやろう」って思える日常を、積み重ねていける道を歩く。
この国は、戦中戦後をそうして生きてきたのです。
そのことを、忘れてはいけない。
戦後75年、開戦からは80年。
都時間なら「ちょっと前」になります。
だからこそ、忘れてはならないこと。
明日またやろう。
あなたにとって、それはなんですか?
明日またやろう。
わたしにとって、それは臼井靈氣です。