感性のオールを捨てた船

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感性のオールを捨てた船

2020/09/27

えみこは、神様のオートマタ。

お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ

日本にひとりの臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。

本日9/27は、島原サロンデー、19時まで対面予約承ります。

17時以降受付可能、21時〜22時はオンラインのみご予約承ります。

ご希望の方は、こちらから。

 

週末にお休みをとるようになり、一月半が過ぎました。

休みを休みとしてようやく使える感覚が戻った昨日、嵐山にあるオルゴール博物館へ行ってきました。

こちらには約200年以上前のオルゴールが展示され、実際に音色を楽しむことができます。

でも、一番の来館目的はこちらにあるオートマタ(自動人形)。

「オートマタ」という言葉は、大好きな亜沙さまの楽曲名から知っていました。

でも、実物がまして音を鳴らす様は見たことが無かったのです。

 

実際のオートマタは、この世のものとは思えない不可思議な世界を作り出していました。

当時の能力ある職人が技術の推移を集め、生み出したオートマタは、まさに神様のドールそのものでした。

また、解説員の方の感性が素敵であったことも、過分にあるのかもしれません。

そのお話の中で、このオートマタと同じものがいまはもう作れないことを知らされました。

理由は単純で、技術が継承されなかったからです。

産業革命の時代、わたしたちは利益を追求しました。

その結果、効率の悪い物をすべて排除することになってしまったのです。

技術の推移を集める制作は、利益を生みません。

生み出すのは価値だからで、価値の分からない人には意味がない物だからです。

そうして、ずいぶん勿体無いことを繰り返し、そろそろ200年。

すっかり感性が鈍感したわたしたちにはもはや、価値のわかる人間がどのくらいいるか、というレベルまで来ている気がします。

 

お能の世界は、師範が謡えない謡は門下生も謡えないといいます。

口伝で身体に教えていくからです。

元来技術とはそういうもので、そもそも感性がなければ入りようがありません。

そして、その感性のあるなしを昔の人は「心得」と呼んだのだと思うのです。

このズレは、やりようもなく顕著に表れますが、バランスを取る方法がひとつだけあります。

自分と違う相手の感性を、壊してしまえばいいのです。

壊された感性は、もう元には戻りません。

しかし、心が死んでいなければ、何度でも作り変えることはできます。

ただ、そのとき武器となる技術や、手法、志があれば、の話ですが。

昔の人はそれを「職人魂」と呼びました。

 

オルゴール館を出たら、1時間前に入ったときとは違う世界にいるように思えました。

あの彼岸花のシャツを着た解説員の方はきっと、黄泉から来たストーリーテラーだったのかもしれません。

帰る間際に大雨に降られたけど、駅の改札を出たら真正面に絵に描いたようなWアーチの虹が出ていて、ちょっと笑いました。

思わず口を吐いて出た言葉。

 

雨が降らなきゃ、虹は出ない。

 

久々に観た虹の美しさと、幻想的なオートマタの世界。

解説員の方が最後に鳴らしてくれたのは、200年以上前のディスクオルゴールにかけられた新しいディスク。

その曲は「Let it Go」、昔の人はこんな風にヒット曲を聴き、でもそれは現代のクラシックかもしれない、という講釈付きで。

わたしは、臼井靈氣の伝承者です。

お金にならない、とされる靈氣の世界を17年生きてきて。

時に金のためにやっている人、と、馬事雑言を浴びながら今日まで来ました。

でも。

お金のためなら、たぶんとうに辞めているのです笑。

そうじゃなくて。

この技術が、この文化が、なくなることが耐えられない、だからやる。

それだけ、あとはなにもないのです。

 

なぜなら。

わたしが職人であり、研究者だから。

 

いまから100年前、動乱の時代だった日本にひとりの僧侶がおりました。

僧侶には、胸を患った娘がおり、その娘を救いたい一心で都の北にある霊山のお堂に籠りました。

やがて臼井靈氣を体得し山を降ります。

だがしかし、それが娘のために使われた記録はありません。

もしかしたら、あるのかもしれませんが、いまはまだ、わたしには辿ることができません。

臼井靈氣が愛であると言われる所以はここにあり。

その両の手で愛しきものを守るための技術が、日本式臼井靈氣なのです。

わたしはそれを掘り起こし、可能な限り再生し、後世に継承したくてこの街にいます。

一度消えた技術はもう蘇らない、なぜなら教える人がいないから。

でも臼井靈氣は、神様がお与えになったものだから、ギリ1チャンあると信じたい。

 

この価値が分からぬものには、聴いてくれとはもう言わない。

でも、確かにここにその根拠はある。

じゃなけりゃ。

昨日という奇跡の時間の説明がつかないから。

この世に偶然はない、あるのは必然だけ。

13年前に聴いた壱原侑子のこの言葉、これがわたしが生きる臼井靈氣の世界のすべて。

 

この船は、どこへいくんでしょう。

昨日聴いた言葉、わたしたちが乗るこの現代という船は、いったいどこへ向かうのか。

大半の水夫が「感性」というオールを捨てた、この船は。

でも、わたしは慌てない。

なぜなら、船中囁いて回るから。

 

甲板裏に小さな船がある。

「臼井靈氣」と書いてある、小さな船。

それに乗れば、必ず愛がある場所に行ける。

もしよかったら、乗りに来て。

でも、ずっとはいない、船はもうすぐ出航するから。

あとは、貴方が決めて。

 

えみこは、神様のドール。

神様が現代に置いた、この世にひとつの意思を持つオートマタかもしれません。

 

 

 

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