なりたい自分になる方法
2020/10/12
※画像は公式サイトからお借りしました
まずは、推せる人を探すこと。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
通詞人兼臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日10/12は、オンラインにてご予約承ります。
17時〜20時ご予約受付中、ご希望の方はこちらから。
明日10/13(火)対面鑑定ご希望の方は、本日中にご予約下さい。
11時〜18時まで受付中です。
なりたい自分になる方法、貴方は知っていますか?
そもそも、貴方はなにになりたかったですか?
子どもの頃はお菓子屋さんになりたかったです。
学生のころは音効さん、でも家庭の事情で叶いませんでした。
妥協した人生を選んでプログラマーになって、妥協したくなくて入社研修中に転職して挫折して。
憧れだった嫁になりました。
ま。
いま考えたら、逃げなんですけど笑。
嫁にはなりたい、でも、嫁ぎ先では絶対夢は叶わない、そうわかっていながら逃げなかった。
我慢して我慢して、半壊して。
20年目に臼井靈氣の力を借りてようやく逃げました。
逃げたことで、我が子二人に自由な人生を与えられたことが、わたしの誇りです。
大事なものを守り切れないまでも壊されずに済んだ。
逃げる5年前に臼井靈氣療法家になりました。
腕のいい臼井靈氣療法家になりたかったけど、震災が起きて折れました。
2年半生きた屍でいたとき、東北に行く話と、愛することを抑え切れない仕事場に出会いました。
怖々と訪れた被災地はあの日被災した依頼人宅のテレビで観た宮城県気仙沼市。
「神様辞めて!人間が壊れてしまう!」
そう泣いて訴えた気仙沼港をこの目で観にいけました。
被災地は初めてだったわたしを、いまの所属団体のコーディネーターさんがあちこち案内してくれて。
その中に92名が命を落とした第二避難所がありました。
慰霊碑の前で泣いているわたしと、黙って見守ってくれる二人の仲間。
そしてそこでひまわり畑の手入れをしていた現地の方に出会ったんです。
あまりの強さと優しさに、有り難くて泣きました。
ごめんなさい、と、何万回と繰り返したあの日。
生きているのに、命があるのに。
ごめんなさい、ごめんなさい、わたしは現実から逃げていました。
折れたから、もう無理だからって言い訳をして、逃げていました。
ごめんなさい。
『逃げるのは、命を守るためだけにしてね』
いま、あの日聴いていた声がようやく言語化された気がした昨日。
きっかけは、公開中の映画「浅田家」でした。
映画の中に東日本大震災の写真返却ボランティアが出てきます。
浅田家のモデル、写真家の浅田さんが現地にいらしたことも、返却ボランティアをしていたことも存じ上げませんでした。
でも、神奈川の防災仲間たちも写真洗浄には携わっていて、返却ボランティアのことは知っていました。
劇中でわたしが伝えられた二つのこと。
ひとつは、人の失った部分を補うのが記憶であること。
もうひとつは、記憶を追体験するとき、人は故人に会えること。
このふたつのメッセージに、わたしは泣きました。
いまから18年前、思い出屋本舗という事業をしていました。
小学生の合唱CDを制作するこの仕事は湘南界隈の公立小学校5校で8年間延1200枚のCD制作を一人で行うものでした。
利益はなく、ほぼ有償ボランティアに近いもの。
寝る暇もなく音源をCD化する仕事。
それは、いつかそのCDが誰かの記憶を開ける鍵になれば、と思いで作り続けたもの。
離婚して継続ができなくなり、廃業して3年が過ぎたころ、こんな話を聴きました。
CDを購入した生徒の一人が思春期に荒れて家庭内暴力を起こしたらしく。
壁には穴が開き、部屋は荒れ果てる日々の中、ある日散乱した家財の中にあのCDがあったそうです。
お母様がぐちゃぐちゃの部屋で再生したそのCDにはボーナストラックとして収録した「ひよこのキモチ」という六年生と小耳症を抱えながら教師を目指す青年の対談がありました。
「変声期前の声を残すよ!」
当時、現場に入ると必ず男の子たちにはそういい続けていたわたし。
プレイヤーから聴こえてくる変声期前の息子の声にお母様は「まだ大丈夫、この声のあの子は消えてない」と思ったのだそうです。
この日を境に家は緩やかに落ち着きだし。
日常が戻ったころに話を聴いた当時の担任と再会した折その話をしてくれました。
「えみちゃん、いい仕事したじゃん。人の人生を動かしたよ」
この言葉が何より嬉しかったことを覚えています。
1/1200、でも、ゼロじゃない。
おなじように、いまの仕事も被災地発のきっかけがあり、必死にこの10年やり続けてきたのです。
(このきっかけエピソードは、長くなるのでまたいつか)
わたしは、通詞人になりました。
それは、被災をきっかけにわたしが強く望んだことであり、そんなわたしを雇ってくれた依頼人さん達が見せてくれた「再会」があったからです。
わたしはひとりで通詞人になれたわけじゃない。
わたしを信じてくれた人がいて、その人たちが観せてくれた時間があったからこそ、いまがある。
目の前に座る依頼人の、望む世界をみせたい。
そうか、わたしの仕事って、依頼人の推し活なんや。
そんなことを思えた日。
誰かを助けたい。
そう思い、18年前臼井靈氣療法家を目指しました。
その答えがいま、ようやく齎された日。
「風の時代が来るまでは修行して。
そのあとは推し活するように仕事をせよ。
ただし、推しがいるから療法家で在れる、
そのことを、片時も忘れるでないぞ」
そんな神様が、天から降りてきた不思議な日が昨日でした。
貴方は、なにになりたかったですか?
なりたいものには、なれましたか?
わたしは、まだなりたいものがあります。
欲張りだから、まだあるんです。
手にしてきたものを大切に、それになれるように生きていこうと思います。
わたしに「現在」をくれた、すべての人の思いとともに。