姿勢が変わると、人生が変わる
2020/10/22
往来生活は、しばらく休むことになりそうです。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
臼井靈氣療法家にして通詞人 西陣の拝み屋です。
本日10/22は、オンラインにてご予約承ります。
ご希望の方は、こちらから。
明日10/23は19時閉店、24〜25はお休みをいただきます。
来週のスケジュールは明日の朝までに公開します。
10月最終週は出張もあり、休業日が多めとなります。
ご希望の方はお早めにご予約下さい。
10月も終わろうとしています。
2020年は土の時代仕舞いをする年、残り2か月、やり残しはありませんか?
わたしは、最近ある課題が来ていることに気づきました。
それが「安定した身体の動き」。
どうして苦手なのか、考えてみました。
落ち着く場所を持ったことがないことに気づきました。
ずっと流動的に生きてきて、なんなら逃げるための訓練まで積んだほど。
いつどうなっても動けるようにしておくことは、即ち腰を据えることはしない身体の使い方を身につけるということです。
なぜ抜刀や、お能をするのか、わかった気がしました。
どちらも基本姿勢が「腰を据える」ことだからです。
京都に住みたくて3年がかりで出てきました。
神奈川と往来して暮らすうち、月1/3は京都にいないライフスタイルが出来あがりました。
上洛するまでの習慣が、以前大阪で浴びてきた「貴方なんかが京都でやっていけるわけがない」という呪いの言葉が、そう思い込みを作っていたんです。
(このせいで、湘南同様に大阪が好きじゃなくなりました)
腰を据えねば、剣術が上達しない。
腰を据えねば、綺麗な仕舞いが舞えない。
そう言われた瞬間、まず思ったことが「腰を据えて都で生きることをしてみよう」でした。
なにかを腰を据えてしたことがない。
それは、脳内では、させて貰えないことになっているから。
夢を見る度、奪われてきました。
親に、家族に、仕事仲間に。
ことごとく夢を奪われては、また新たな夢を探し掴む繰り返し。
その中でいつのまにか、傷つかぬよう継続するために夢を見ることを諦めてしまった。
映画「さくらん」を思い出しました。
遊郭のお稲荷さんの桜は咲かない、そんな桜に女郎きよ葉は言います。
あの桜は、咲くことを諦めちまった。
だから咲けなくなった、と。
ある晩お客のご老人に言われます。
「咲かぬ桜など、ありはせんのだよ」
咲かない桜など、ありはしない。
桜は、臼井甕男氏が愛した花だそうです。
神が降りる場所、サ(神)の坐(くら 降りる場所)。
しばし腰を据えて、都で生きてみようと思います。
せめて、次の桜が咲くころまで、は。
貴方の「姿勢」は、貴方の夢を叶えてくれる姿勢ですか?