好きを貫く対価
2020/10/29
なにごとにも、対価はつきものでございまして。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
命の使い方をお伝えする西陣の拝み屋です。
本日10/29から明日10/30まで、神旅府内出張のため休業致します。
31日(土)は通常通り営業いたします。
来週、真理予防学を臨時開講致します。
ご希望の方は、お知らせください。
月曜に始まった体調不良、ついに昨日は4年前の失声症によく似た症状を勃発。
まあ、怖い怖い笑。
お前うるさいから、ちょっと黙って頂ける?とか、あちこちで思われてるんだろうなあ。
ま。
黙りませんけど笑
4年前声を失くしたときは、パニックになり、動揺し、師範からは「よかった」とまで言われ笑
(あんたが声を失くして発見できたビジネスモデルがあるから、みたいな話をされました笑)
もうもう本当に地獄を見たけど。
仲間がマヌカハニーを送ってくれたり、いろんな方に支えられて、嬉しくて泣いて。
決めたんですよね、仮に声が戻らなくても。
筆談鑑定士として、生き延びてやる。
仕事は死んでもやめない、って。
そうしたら、緩やかにだけど戻り出して。
まあ、あれから四年経ついまも、実は声帯は爆弾抱えているようなもので、精神的ストレスが掛かると、こうなるわけで笑
強い強いと思われてますが、霊媒業は実は繊細な仕事。
強さに寄れば精度は落ちる、霊媒として有能な方が街中にいない理由は、そこやとわたしは思っています。
俗世は我々には、時に害悪になりますから。
寺に籠る気はないか?と、言われたこともあります。
でも、わたしは街中でノラの霊媒でいたかった。
なぜなら、街中で起きる話を解決するものが街を離れたら、なんもわからなくなる気がしたから。
人が必要とするのは知恵であり知識ではない、頭でっかちにだけは、なりたくなかったのです。
まあ、だからこそ、いろいろ起きるんだろうけどね笑
わたしは好きでこの仕事をしています。
誰かに強要されてもないし、誰かにこれを強要するつもりもありません。
でも。
神事とか、生き筋とか、ましてや黄泉を生業にするって、それ相応の覚悟を問われるものでして。
えみこの仕事は、大したことないよ。
あんなん誰でもできんじゃね?みたいによく言われますけど。
ここ最近は「貴方の仕事のここが疑問です」「こうならないのは、おかしいと思う」的なお話を、立て続けに頂きました。
残念ですが、それはわたしからしたら外科医に「こうオペして下さい」って言うようなものなので「申し訳ありませんがお応えできません」と答えました。
まあ、不徳の致すところ、未熟さの現れなんでしょうね。
まだたかが18年、通詞人歴は10年足らず。
京都の諸先輩から見たら、鳴り物入りで東からきた余所者の野良でしかありません。
でも、好きだから辞めない。
この街も、仕事も、いまの生き方も、ね。
4/2にコロナで自粛要請が出て以来、初めてキャリーケースに旅支度をしました。
あれほど往来していたはずが、そこに対する抵抗感がとてもあることに気づきました。
2018年秋、神奈川に戻るのはもう年数回で毎月はやめよう。
そう決意しましたが、ある生徒さんの入門によりその意思を覆したことがあります。
2019年丸一年往来を継続し、そこで得てきたものがある反面、手放してきたものが過分にありました。
人生にIFはないから、そこに後悔はないです。
ただ。
この世には、ある摂理があり。
愛情を担保に行われたやりとりは、その担保が失効した際相殺が行われる、というもの。
最初にこの摂理を聴かされたのが、ちょうど10年前でした。
相殺が行われた結果どうなるか、わたしは見届けたことがありません。
あれから10年、それを見届けるときが訪れたのかな、なんて。
好きにも、対価は必要なんですよ。
等価交換は、この世の原理原則です。
愛情相殺という担保は、いわば預入金みたいなもの。
すんごーい昔に、簿記検定を取らされました。
意味がわからず単位のためにだけ、取りましたが。
最近思うのは、見えない世界の等価交換の原理原則に、簿記の知識は役立ちます。
無駄はないねぇ。
令和は、見えない世界的ファイナンシャルスキルも向上させたいです。
ただし、風の時代の方式で。
できないことを減らすのが好きだから。
できることを増やす、とも言いますが笑
物事は陰陽論、どちらかの言い回しがしっくりくるか。
土の時代は、できることを増やしたい人でした。
風の時代は、できないことを減らしたいです。
同じようでいて、同じじゃないこの感じ。
貴方には、届いていますか?
ちゃんと。