後悔なく死ぬために、挑む
2020/11/20
いまはまだ、躯体がついてきていないだけ。
お目通し下さり光栄です、京の拝み屋 京都の脳科学コーチ 西陣の拝み屋です。
本日11/20は、オンラインにてご予約承ります。
対面で当日希望の方はご相談ください。
三連休は休業日とご予約で満了、明日の真理予防学のみ受付可能です。
一昨日、昨日と、試される現場が続きました。
なにを試されたか?拝み屋としてのステップアップです。
いまから10年前、同じ場所を通りました。
10年前のわたしは、まだ京都に関心もなく、生涯を湘南で終えるつもりでいました。
再婚したいパートナーがいて、家族もそれを信じていて、その人に合わせて仕事をコントロールしながら暮らしていました。
目を逸らすと消えてしまいそうな未来を必死に捕まえようと生きていました。
そんなわたしの前に、その人は現れて。
わずか一年半ですべてを破壊し、二度と戻れなくしました。
いま世間を騒つかせているエネルギーワーカーが住んでいる街に、その人は出入りしていました。
「霊能者」と周りから呼ばれていたため、最初は警戒しました。
やがて、じわじわとわたしの暮らしに立ち入り、人生に立ち入り、やがて臼井靈氣の門下生になりました。
その人が現れてから、大切にしていたものがゆっくりと人生から消えていき。
そして、あの日。
3/11をその人の手引きで迎えることになるのです。
あの非常時に、ニコニコと夜明かししていたその人をいまでも覚えています。
悪魔って、あんな風に振る舞うんだろうな。
10年が過ぎてようやく、そのことを腑に落とせるようになりました。
ああ、わたしは単に「人の皮を被った悪魔」に会っただけなんだって。
でも。
わたしは負けん気が強すぎるから、見届けなければ気が済まないんです。
そうまでして、人を貶めた人に神様は何をなさるか見届けたい。
知りたいです、とオーダーしたら、必ず答えは頂ける。
それを誰より知っているから、だから。
知りたいです、と、オーダーすることにしました。
わたしの人生において、数少ない赦せない悪党の行く末を、ね。
いまから4年前、ある裏切りに遭い声を失いました。
わたしは怒り狂い、怯え、相手を本気で呪いかけました。
そんなわたしを諫めたのが当時の師範。
しかし、姉妹弟子であった相手も擁護されたため、一門と縁を切りました。
呪うことは許されない、でも、声は戻らない。
相手はのうのうと生きている。
なんで?なんで?なんで⁉︎なんでなのよ⁉︎
怒りのあまり、死ぬんじゃないかと思うほどの苦しみが襲ってきたころ、一瓶の蜂蜜が届きました。
マヌカハニーのブルーボトル、友達が送ってくれたもので「お歳暮だと思って」と言われました。
嬉しくて有り難くて、握りしめて泣きました。
あのとき、わたしが堕ちずに済んだのは、間違いなくこのブルーボトルのおかげです。
我に返ったわたしは、神様に言挙げしました。
「どうか、神様はいる、と、示して欲しい。
震災のときのように、神は居ないとは
もう思いたくないのです」
後日、相手の身に起きたことを人伝に知らされました。
天誅が下った、そう思える話で、このとき初めて神罰(しんばつ)の存在を信じられるようになったのです。
それは人間がやり返すより遥かに厳しく、辛いものでした。
ま、だからって相手が潰れることはなく、ご本人はいまも一門に守られて元気に活動されているそうですが笑。
わたしの気は済んでいるので、見えない場所でどうかお幸せに、と、幸せが祈れます。
拝み屋とは本来、この手の調整をする存在だと思っています。
見えない世界って、本当に役所っぽくて被害届が出されないと捜査できません、みたいなことがあるんですよね。
少なくともわたしはそれを体験してきています。
そして、届けたからって誰しもが聞いて貰えるわけじゃないことも。
現実世界の訴訟もそうで、例えば弁護士、検察、裁判官、警察官などの判断で不起訴になったり、逮捕できなかったりは、実際にある話です。
でも、そこにも理由がちゃんとある。
それぞれがきちんと頑張っても、空回りしてしまうときもある。
そんな現実の調整をするのが我々拝み屋で、人間界でできないことを言挙げして天に通し、裁いて貰うための存在なんですよね。
10年前、湘南の海街でその入口に立ちました。
そして、人の皮を被った悪魔に道を阻まれ、あの震災で潰されました。
悪魔はよく言っていました。
「貴方はそのままだと、死ぬと思うの。
助かっても、きっと病気になる。
わたしは、貴方を救いたいのよ」
抗いきれない呪いの言葉の力を、身をもって体験した10年前。
命を2回狙われて、ようやく悪魔の元から逃げ出せたわたしは、魂が死んだ抜け殻でした。
生きた屍のわたしでしたが、それでも「我が子を守りたい」という強い思いだけが残りました。
逆を言えば、命と我が子以外すべてを奪われたのが当時のわたし。
そんなわたしを救ってくれたのは、愛と故人と神様でした。
先日の龍馬祭で、久々に占いを受けました。
その方に拝み屋として生きる道を観ていただいたら「やれば、貴方が壊れます」と言われました。
思わず笑ってしまいました、ああ、10年前と変わらない。
でも。
壊れるだけで、済むんだね、と。
なら、壊されないように準備をしたらいいだけね、と。
それを神様は聴いていらしたのでしょうね、龍馬祭以降の仕事はまるでわたしを鍛えるようなものばかりです。
拝み屋なんかになれば、早死にするよ。
随分神奈川で言われて来ました。
怖くて怯えて、足がすくんで。
実際何度も命を狙われてきました笑
でも。
思うのです、一度生きた屍になったからこそ、強く思う。
ただ生きていたって、意味ないじゃん。
わたしは、後悔なく死にたい。
だから挑む、壊れないように。
少なくともいまは、10年前のあの悪魔のいく末を知るまでは死ぬわけにも壊れるわけにも行かないと思っています。
「神様なんか、いないわよ」
東北で震災の後、何度言われたかな。
言われる度に胸が痛んで苦しかった。
だからこそ、見届けなきゃいけないんです。
神様はいる。
わたしがその、エビデンスです。
そう、言い切って死んでいくって決めたんだから。
わたしは、西陣の拝み屋。
京都西陣の片隅に住む神様の存在証明書。
その信頼度を高めるための10年を、これから始めていくのです。