弥生3月〜井の中の蛙の新たな旅立ち

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弥生3月〜井の中の蛙の新たな旅立ち

2021/03/01

※西陣の拝み屋は、霊媒師が脳科学コーチング

により貴方の未来を変えるお店です。

 

大海は知らずとも、空の蒼さは誰より詳しい。

お目通し下さり光栄です、京の拝み屋

西陣の拝み屋です。

本日3/1〜2、ご予約満了となりました。

明後日3/3ご予約承ります、対面希望の方は

明日2日までにご予約ください。

 

昨日の定休日、京にてサッカーサポーター

デビューしました。

開幕戦の対戦相手は相模原、奇しくも新旧

対決となった2月の終わり。

それは、震災10年めを迎えたわたしの、

キックオフの1日でもあったようでした。

サッカーは90分のゲームです、そして

ドーハの悲劇に象徴されるように、最後の

1秒までわからないゲームなのです。

いまから40年前、同世代のサッカーしていた

子たちには「サッカーで飯を食う」という

表現でしか、夢を見ることができませんでした。

いまのようにプロリーグもなければ、日本が

ワールドカップに出るなんて、夢のまた夢

だった時代だったからです。

そんな時代に、日本がワールドカップに出場

することを夢見て15歳で海を渡った選手がいます。

三浦知良選手。

サッカーの一時代を築いたカズ選手は、当時

荒唐無稽に思われそうな夢を叶えるために

海を渡り、やがてその願いは実を結びます。

他人が「荒唐無稽」と笑う夢が、叶わない

わけではない、とカズ選手を見ていると

思うんですよね。

 

3年の悲願の末、移住を果たしたえみこ。

でもそれは、思い描いた形とは、大きく

違ったものでした。

上洛を果たした一方で盟友を癌に奪われ

最後のお別れもできず。

やがて、二人の象徴だった秘密基地と

湘南のベースは跡形もなく消えることに

なり、追い立てられるように古巣である

阿夫利山の麓に移転します。

でも、その街には心を切り刻んだ人間が

住んでいる。

だからなのか、移転後一年その場所に

入ることができていません。

次に入るときは、おそらく出るための

準備だろうと思うのです。

上洛してから形を作るためにしてきた

こと、その時間があっけなく崩れていく。

そんなことを最近思っていました。

そのことが悲しいわけではなく、本当は

どうなりたいのか、わからないことが

悲しかったことに気付かされたわけで。

 

井の中の蛙には、なりたくない。

2016年、どんなことをしても京都に

住もうと決めたきっかけは、この想いから。

自分の力のなさを知らしめたある依頼、

そんな依頼にも太刀打ちできる自分に

なりたい、そのためには「いつか」では

なく「どうしても」京に住まなければ。

2015年に聴いた天の声に「気長にお待ち

ください」とは言えなくなったのが

2016年の春でした。

でもそれも、なんらかの意図の先にある

ことなのだと、いまならわかる気がします。

 

井の中の蛙大海を知らず。

この言葉には、日本人が作ったとされる

続きがあるそうです。

 

井の中の蛙大海を知らず、されど空の

蒼さを知る。

 

井の中の蛙は、大海を知らず了見が狭いが

狭い井の中にいたからこそ、その世界の

深いところや細部を知っている、という

意味です。

この「蒼」の字を観て、とあることを思い

だしました。

 

いまから11年前、とある書家さんの記事を

書いたことがありました。

当時は駆け出しのフリーライターで、人物

専門ライターを目指していました。

人を書くその仕事を、いつか必ずやりたいと

小さな一歩を踏み出したばかりのころ。

後日その書家さんが落款作りのワークショップ

を開催され、同時に印の制作も受付されまして。

当時靈氣療法家とライター二足草鞋だった

わたしは師範から早く物書きを辞めるよう

迫られていました。

「物書きの感性は、靈氣の邪魔になるから」

とさいさん言われてきましたが、これを拒否。

いまでもこの論理は理解できません、自分の

育成で、なにかが靈氣の邪魔になると思った

ことがないからです。

指導に従わないわたしは、やがて異端児の

烙印を押され、お荷物扱いされていきます。

それでも、どちらの夢も諦めたくなかった

わたしは、その決意を落款にしました。

彫って貰ったのは、この言葉。

 

「蒼月癒光」

 

ソウゲツユコウ、造語です。

観音系霊気、と呼ばれる一門で育ちました。

本来靈氣の色は紫とされています、しかし

観音系霊気の色は観音様の色である青で

ある、とする教え。

当時のわたしのイメージは、漢字で青では

なく、蒼だったのです。

蒼い月の光のように癒していきたい。

まだ新人だった当時、そんなことを

思っていました。

若いな笑、と思います。

 

蒼とは、日本の色彩ではいまの緑に

当たります。

稲穂があおあお茂る、の、あおあおは、

蒼蒼だからです。

信号も、赤蒼黄色、だから緑色。

ライターになりたかったのは、言葉に

対する感性を育てていたからだと、いまさら

思い知るわけで。

緑を表していたはずの蒼は、いつのまにか

英語のブルーに変わってしまったのだとか。

蒼い空のあおが、緑なのだとしたら。

そんな空を観る日もいつか、訪れるのかな。

黄色い空は、一度だけ観たことがあります。

平成最後の年、拝み屋一世一代の祈祷を

した後の空は、泣くほど美しい黄紫の空でした。

いつか、本当に蒼い空が観られるかな。

それまでは、井の中の蛙で構わない。

 

だってそこが「京」という井戸の中ならば、

大海を知らずとも幸せに死んでいける気が

しているんですもの、わたし。

そこが愛しき場所ならば、井戸もまた幸せ。

そんな蛙を、令和は目指そうと思います。

 

 

 

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