ノウリョクフヨとノウリョクサクジョ
2022/10/19
削除だけは、しない人になりたい。
お目通し下さり光栄です、安心の家 西陣の
拝み屋です。
本日10/19(水)は、オンラインのみご予約承ります。
明日10/20(木)は対面依頼受け付け可能、
ご希望の方は本日中にご予約下さい。
明後日10/20(水)は、10月ムーンショット対策グループ講座。
ご予約受付は20日12時までにお願い致します。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
↓↓ 10/19(水)の更新記事はこちら ↓↓
昨日は遠隔介護関西最後の日でした。
四月に遠隔介護が始まって最初にしたことが両親の
医療移管。
介護担当の身内が変わる際に半ば放置されたことに
なっていた両親の医療体制。
半絶縁状態を長く保っていた娘に父が連絡をよこした
背景には、母の癌の再発がありました。
10代の後半から、両親の病と向き合ってきました。
医師との面談も、病院の手配、その後医療訴訟に発展
するほどの医療過誤含め、気づけば40年近く「長女だから」
という理由で親と病院の間に立っていたのです。
離婚を機に起こった実家との断絶、それがトリガーとなり
後の絶縁、その間に起きた父と母の癌の手術。
京都に移住するとは夢にも思っていなかった10年前、
被災ショックで社会生活にゆがみが生じていたわたしは
家族にとってある意味腫れ物に触るような存在だった
のかもしれません。
両親の病気治療はわたしの手を離れ、全く事態の判らない
状態になりました。
それでも、家族でどうにかできていると思っていた。
だからこそ、ある意味安心して長女の役目を降ろせたのです。
絶縁状態を選んでまで、自分の家族を再生する道を選んだ6年前。
わたしと子どもの間では、何度も家族会議が行われ、「身寄りが
居なくなった世界」について考えました。
シングルマザーとして子どもたちを育てて、元婚家とはとうに
絶縁している我が子たち。
自分が死んだら、誰も頼れる存在が居なくなる。
どれほど頼りない親だとしても、生きていなければならない。
そんなことを何度も考える一方で、仕事柄よく知っていた。
人生の終わりなんて。
ある日突然訪れるのだということを。
紆余曲折あり、親が必死の思いでわたしを尋ねてきた背景には
あれほど不仲だったはずの両親が最後まで一緒に居たいという
想いがあったからな気がする。
最も親不孝な娘の決断はあくまで親のためではなく、自分の
ための緩やかな看取りという選択だったのだけれど。
親が居なくなった世界を悔いなく生きていくために、最期に
親に何ができるだろう。
その1年で、両親の申し出を受け入れたような気がします。
受け入れてみたら、我が子たちは思いのほか祖父母との
時間を考えるようになっていました。
きっと、あの家族会議の経験が彼らに「誰も頼れず生きること」
のイメージを沸きやすくさせたのではないかと思っています。
誰も頼れない、自分でやるしかない、それがどれほど自分には
難しいことなのだとしても。
それがどんなにしんどいことか、少なくともこの数年でわたし
たち家族は学んできたような気がします。
誰かの支えなく生きることの難しさと一緒に。
「それは自分でできるからいいよ」
「お前はお前の仕事に行きなさい」
昨日新大阪の駅で、予定の便より40分も早く改札を
くぐっていった両親。
高齢になってなお、この人たちは親であろうとするんだな。
ちょっとそう思った瞬間でした。
「できることが減っていくからこそ、苛つきもするんです」
介護経験のある生徒さんが教えてくれたこと、だからこそ
ずっと肝に銘じていることがある。
自分の安心のために、できることを取り上げない。
例え周囲から「なんて冷たい娘なのだ」と責められても。
何もしないくせに、遠くに離れているくせに、
親だけで暮してほしいと言っている。
そんな風に言われたこともあるけれど、どれだけ悪党に
されるとしても、それで家族が安心できるなら、安いもの
なのでは無いかと、わたしは思う。
きっと、そんなことを言う人たちは、親のことなんて
死んでしまえばすぐに忘れていくに違いないから。
何を願って両親が生きて、何を思って死んでいったか、
それを覚えていてくれる人は、決してそんなことは
言わないから。
この世には金で買える安心と、金では買えない安心がある。
でも、人が最期に求めるのは、往々にして金では買えない
安心の方。
そしてその対価は、時間と想いでしか払えない。
靈氣と出会って20年、靈氣があったからこそ、わたしは
10年以上前に遠隔介護の可能性を知っていた。
そしていま、靈氣があったからこそ、金では買えない安心の
存在と、それを手にする方法を知っている。
それだけで、どれほど有り難いことなのだろう。
この場所まで20年歩き続けて本当によかった、いま、そんな
風に思うのです。
昨日、珍しく大阪出張に出ました。
多分最後の大阪出張になりますよ、そういったら希望される
方がいてお稽古をさせて頂きました。
その中で「能力付与」というお話が出ました。
能力付与とは、自分が持っている能力の一部を相手に分ける
ことを言います。
臼井靈氣がしている伝授は、実はこの能力付与だと、個人的には
思っていて、だからこそ、どの師範の元で学んだかは結構重要な
ことなのでは無いかと思っています。
転門してきた子たちが、以前とは違う力や人生を手にしていく
姿を見て、個人的にはそのことを実感しています。
そして願わくば、わたしがいなくなったあとの世界で、その中の
誰か一人でも能力伝承を考えてくれたらいいな。
最近は、そんな風に思うのです。
「人生にも砂時計はあると思う」
昨日Twitterでそう呟いたら、こんなリプを貰いました。
「人の人生を砂時計にしたらスカイツリーくらいの高さに
なるそうです」
湘南にいたころ、一度だけスカイツリーに上りました。
神様の景色だなぁ、そう思って街を見下ろしたことを思いだし
人生はきっと、同じ高さになるね、と至極納得しました。
2011年に独立してから今日まで、ある執着を持ってきたことが
あります。
それが「病を処方する手を撲滅する」、その先に出てきたのが
解毒薬としての、呪詛の解除だった。
残りの人生の砂時計を観たとき、主神様に言われた気がしました。
「いつか訪れるだろう、お前のいない世界にも安心を。
そのために、お前はお前の研究をどうまとめて還ってくる気だ?」
わたしの残りの人生をあと20年と仮定して、そこでまとめることが
あるのだとしたら。
能力付与と、能力削除のからくりを汎用化した理論にして継承
するかな。
その理論がある限り、臼井靈氣は守られていく気がするから。
そして、それを為し得たならば、ほんのわずかながら臼井甕男
先生のご遺志に報いることができた気がするから。
まぁ、えみこごときが片腹痛いわ、とか言われるんでしょーが笑。
いつだって、ダークホースは異端児だったりするんすよ、きっと。
病を処方する手の正体は、能力削除。
ならば、消された能力に匹敵するものを付与したらよくね?
「そんなの、できるの?あり得ない」
あり得ない?
あり得ないとは、どういうことかな?
あり得ないと言うことを、君は根拠を持って立証できるのか?
できていないなら、仮設に過ぎない。
仮設は実証を持って真実となる。
だから、やってみなければ判らない。
その方法?
さっぱりわからない。
実に面白い。
(訳:できるまでやりますよ)
************************************
初回の方向け、心身の健康がメインの相談向けプラン
総合相談始めました。
時間の流れが狂うと物理的に身体がブレる、そんなブレを
修正するプログラム始めました。
ご興味のある方はぜひ、よろしくお願い致します。
リーズナブルな設定にさせて頂きました。
ぜひ一度ご利用ください。
★以下のサイトで掲載頂いています★
ぜひご覧下さい。
毎月変わる月替わり講座、ただいま絶賛
ご予約承り中です。
★故人の対話、受付中。
AmebaREQUさんにて鑑定受付開始いたしました。