命のおもたさ、言葉の重み

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命のおもたさ、言葉の重み

2020/07/19

貴方の使う言葉の重みを知るべきです。

お目通し下さり光栄です、京都とオンライン

体感する脳科学で人生を豊かにする西陣の拝み屋です。

本日7/19は、オンラインにてご予約承ります。

14時〜18時受付中、お問い合わせはこちらから。

今週のスケジュールも公開しました。

4連休は前日予約のみ18時まで対面受付可能です。

 

昨日は1日寝ていました。

寝ては起きてを繰り返す様子に、神旅の情報処理が脳内で終わっていないのだな、と思います。

昼に起きたとき、生徒さんからのLINEで三浦春馬さんのニュースを知りました。

心からご冥福をお祈りいたします。

ここ二日眠っていた理由は神旅だけでなく、世に流れていた気配を遮断するためだったのかな、なんて思ったりもしました。

真実は不明ですが、SNSとの関連が言われていますね。

昨日は京アニ事件から一年目。

一年前は殺害予告を伴う炎上騒ぎの渦中にいたわたし自身、SNSでのダメージは身をもって体験済みです。

いまだにうちのHPにはネット民と呼ばれる方々が貼りついているようで。

アクセス解析で状況把握だけはしていますが、毎日入ってくる流入率は決して少ない数字ではありません。

多分、知らないところでは、あれこれあるのでしょうね。

 

言葉は鎖である、という話を講座や鑑定内でします。

その言葉の持つ重みを知らない人があまりに増えました。

また反対に言葉を便利に使う人も増えました。

言葉は装えますが、声は装えない。

肉声を伴うものは敏感に反応できますが、そうじゃないものに人は弱いと思います。

本当の悪人は、この使い方が上手いのですが。

声を聲に変えてしまう術を心得ている気がします。

 

物事には必ず等価交換の原理が働きます。

正負の法則がかならず存在し、万人がこれから逃れることはできません。

しかしそれは、人が思う正負ではなく、神様が思う正負。

そこが同じになる日は、恐らく永遠に来ないでしょう。

同じになったなら、それはもはや人ではない、ということだから。

人は間違うが、神は間違わない。

だからこそ、その現実=正解の中から、最善である理由を探して生きるのが人の道。

とはいえ、やはり命が消えることは耐え難く悲しいことに変わりはないのですが。

 

この世には、神も仏もいるけれど。

同様に鬼も悪魔もいるのです。

「鬼神」と呼ばれる神もいる。

「死神」や、「貧乏神」と呼ばれる神や、「疫病神」と呼ばれる神様も。

これらの神は「学びの神」とされ、厄災を通じ人を学ばせるために存在しています。

日本はもはや貧困国であり、後進国になりかけた国なんて、言われたりしますが。

そうであるなら、これら学びの神様方は大手を振って街を闊歩していることでしょう。

実際にそんな神様と手を繋いでいる人を見かけるようにもなりました。

その方々に言葉を届けようと頑張った時期もあったけど。

それはもう、わたしの手には負えないところまで来てしまったようで。

だからこそ、やり方を変えてゆくしかないのだろうな、とか思ったりします。

神様の存在が、あまりに低くなってしまったいまの日本。

そうじゃないのにね、本当は。

身近にいては下さいますが、敬ってゆかねばならない存在なのに。

 

昔の人は、よく言いました。

「神様じゃあるまいし、そんなことできるわけない」

いま、そんな言葉は聴かなくなりました。

反対に、神様でもなさらないことをしようとする人には、お会いするようになりました。

「それは致しかねます」と答えると、無能の烙印を押されます。

無能でいいと思っています、だってわたしは人間だから。

神様にしてくれる方法をご存知の方がいるなら、そこに行かれればよいのではないかと、いつも思うのです。

人が神と同じことをしようとすれば、それ相応の対価が必要となる。

それだけではなく。

元来人が神と同じことをなさりたいなら、それなりの神様と手を繋いでいる必要があります。

巫女も神官職でさえ、なんらかの神様と手を繋がれている。

講座でも、鑑定でも、そんな話はしてきているつもりだけれど。

まったく伝わってないんだな、と思う言葉を聴いたとき、自らの未熟さを思い知ります。

17年前は人を救いたくてこの世界に入ったけれど。

どれほど師範に叱責されても、泣いて人を救いたいと訴えたものだったけれど。

いまはもう、そんなことは口が裂けても言わないし、思うこともありません。

人に言葉ひとつ届けられないわたしに、救える人などいないと思うから。

それでも。

誰かのわずかな光になるなら。

まだ、現場に出る価値はある、と、信じたい。

 

10年前、仕事人として一度死に。

育ての親である師範には勝手に引退したことにされたわたしですが。

10年ぶりに行の道に戻ろうかという流れができたいまだからこそ余計、命のおもたさと言葉の重みを考えるのかもしれません。

 

 

 

 

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