「普通」という、まやかし

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「普通」という、まやかし

2020/07/20

それは環境依存の最たるもの。

お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ

都の巫女 西陣の拝み屋です。

本日7/20は、オンラインにてご予約承ります。

明日7/21はご予約満了、翌22日は島原デー。

13時半〜14月半のみ、空きございます。

お問い合わせは、こちらから。

7/23〜26の連休、前日までにご予約頂きますと

対面での受付が可能です。(基本オンライン)

詳細はお問い合わせください。

 

普通。

この言葉は、使い方を間違うと呪詛となります。

また、他の方法でも人を呪えばそれは、やがて我が身に還っていきます。

なのに、多くの人がこの「普通」を目指しているのは、なんとも不可思議な話。

西陣の拝み屋の湘南嫌いは、ある意味周知の事実ですが。

出身地なのに、30年以上も暮らしてきた街なのに、その街が「大嫌い」な場所になる苦痛。

思えば生まれてこの方、嫌いなものを持たないように生きてきました。

嫌いじゃないけど、二度と会いたくない。

これが、わたしの中の最上級の嫌なことだったんです。

それを変えてしまった街、湘南。

でも。

よくよく考えれば、その街に住むほんの数人が理由なわけで、別に街に罪はないかもしれない。

あの街の、なにが嫌いだったんだろう。

 

わたしに「普通」を強いるから。

わたしのチカラを全否定するから。

チカラの否定=神様の否定。

わたしのことは嫌いでも、神様のことは嫌いにならないでください!

 

前田敦子か……(違います

 

思えば14歳から普通にならぬように生きてきました。

そんな生き方を疎む両親や家族に、そこそこ虐げられた記憶があります。

でも。

変えたくはなかった。

普通じゃない一族に嫁ぎ、泥水を飲みながら生きてきた自負があります。

そして、ある日気づくのです。

このまま泥水を飲んでいたら。

いつか人間じゃなくなってしまう。

だから。

そこから逃げた。

逃げることは、人間に許された防衛本能のひとつだから。

 

でもそのあと、さらなる泥水と「普通」という鎖で縛ろうとする人たちに出会った。

だから。

そんな街は、やっぱり好きにはなれないでしょう。

この街は、怖いとこなんだな。

それがわたしの「普通」になっただけ。

 

そうか。

普通って、普遍じゃないのね。

そう、普通は、移り変わる。

環境次第、誰かの主観で変わっていく、なによりも曖昧なもの。

現にいま、マスクをするのは普通だし、地方の親に会わないのも普通。

感染源にならないよう、気を配るのも普通。

でも、この「普通」は、東西でだいぶ開きがあるように見える。

SNSで首都圏から京都に人が旅行に来るのを見るたび、実はビクビクします。

なんで来てるの?

空いていていいとか、そうじゃないよね。

あなたが保菌者じゃない保証はあるの?

そんなことを考えたりする。

わたしが神奈川に戻らないのは、向こうに行くのが怖いのではなく。

戻ったあとの京都の安全を思うから。

この街がホームだから、ホームの安全のために首都圏には近づかないようにしている。

それがわたしの「普通」なんです。

 

コロナ禍は、人間を丸裸にしたと思います。

これからまだまだ、ひん剥かれていくのだろうな、と。

傲慢な人、そうじゃない人、これまでの「常識」がいかにおかしかったか、などなど。

いってないだけで、我が身に起きたその立場の人がそんなことするの⁈みたいなことも、いっぱいあったし。

でも、それがまかり通る国に、いつのまにかなってしまっていたことを、コロナ禍に知らされただけ。

 

普通じゃないことが、普通でした。

ずっとずっと、そうして生きてきました。

だから、西陣の拝み屋には普通なものは何一つありません。

カリキュラムも、セッションも、なによりわたし自身、たぶん普通ではないのです。

それでも。

だからこそ、生徒さんやお客様からこの言葉を聴けるんだと信じてる。

 

「えみさんと出会ってから、なんか楽しい。

 ワクワクするんですよ、よくわかんないけど」

 

うん、だろうね。

それがわたしの、「普通」だからね。

 

あなた、神様にでもなったつもり?

思いあがるのも大概にしなさいよ。

10年前、よく師範にそう叱責されて泣いている子でした。

研修会のたび、兄弟弟子の前で「どうですか、この態度を無尊と呼ぶのです」と、叱られたものです。

もう15年くらい前だけど、唯一本校から来た先輩術者と臼井靈氣の交換施療になったとき、言われたことがあります。

 

なにをそんなに恐れてるんだろう。

その恐れが貴方を無尊な人に変えてしまう。

本当はそうじゃないのに、勿体無いね。

貴方も師範格であるなら、そことはきちんと向き合った方がいいね。

 

嬉しくて、泣いたなあ。

誰にも言えないことを、見透かされた気がした。

以来わたしの技術者としての「普通」は、見抜くこと、見透かすことに重きを置いています。

言えるなら、苦労はしない。

言えないくらい苦しいからブロックになるし。

言葉にできないくらい、よくわからないから上手くいかない。

認められたら、どれほど楽になることか。

でも、それが人間というものであり。

それを利用していくのが、鬼や悪魔と呼ばれる人々。

わたしは東の街で、単にそんな人たちを見ていたに過ぎない。

ま、それでも、もう今さらあの街を好きにはなれないけれど。

 

西陣の拝み屋は、残念ながら「普通」のお取り扱いはございません。

拝み屋的普通を取り揃えて、一年半で皆様の人生を別ものにしていくのが仕事です。

そして、この先ますます「普通」からは離れたものになろうとしています。

神様に呼ばれた、と信じて京都に移り住む時点である意味普通なわけないからね、もう。

今さらじゃん、よく考えたら。

お前程度のやつ、どこにでもいるって言われ続けてきたけど。

それって、本当かなー。

だとしたら、まだまだ針を振らなきゃなりませぬなあ。

えみちゃん、普通じゃないのがいいー。

 

わいも、やってみたいのです(お文具さん

わーい☆

 

 

 

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