泣くほど好きなもの、なんですか?
2020/08/22
元は療術家になりたかった。
お目通しくださり光栄です、京都の脳科学コーチ
京の巫女 西陣の拝み屋です。
本日8/22は、オンラインにてご予約承ります。
11時〜16時までご予約受付中、ご希望の方はこちらから。
熱に浮かされたような(でも熱はない)2日が過ぎ。
まだ余波はあるものの、どうやらこれはミュータントらしいと気づく朝。
人間の身体は思考が発する周波数と、それを奏でる楽器(肉体)で構成されています。
ミュータント(変態)は、この楽器を作り替える作業。
拝み屋の仕事は、主に周波数調整(脳のリニューアル)でしたが、実は初めは楽器(肉体)の方のリニューアルをしていました。
時間軸のシフトの最終形は躯体のシフト。
つまり身体が生まれ変わらない限り、本当の意味でシフトチェンジはできない。
躯体は靈の乗物、靈氣術者なら十二分に理解していたこと。
10年前、わたしは別の時間軸にいました。
その軸は躯体のシフトを専門にしていて、人を別の軸に逃すことが最大の喜びでした。
しかし、311が起き。
わたしは、その軸から滑り落ちました。
予防学でよく言うマンデラゲートを通過し、道を違え、戻り道が分からなくなってしまったのです。
あれから10年。
この10年に後悔がないとは、言いません。
でも、できる最大値で生きてきた自負がある。
ただ、ひとつの分野を除いて。
躯体ごと、強制的にシフトさせる=逃す
こと以外なら。
わたしは、究極の逃し屋になりたかったのだと思い出しました。
逃せないものはない、そんな逃し屋に、行きたい場所に行かせる渡らせ屋になりたかった。
結婚したい人は結婚できる世界線へ
子どもが欲しい人は子を持つ世界線へ
自由が欲しい人は自由な世界線へ
いくらでも自在に運んでやれる逃し屋になりたかった。
亡くなった方に会いたい方には、会いに行ける世界線へ、ね。
戻ろう、と、思ったのはライオンズゲートのせいなのか、または別の理由によるものなのか。
それは、わかりません。
ただ、やりたかったことを思い出し、再びそれをした際、足りない自分、安らぐ自分を思い出したのです。
わたしの中にある弱さが、あの10年前のマンデラシフトを起こしたのだ、と。
戻り道が分からなくなり、半ば諦めかけた療法家の世界線。
やっぱり帰りたい、そう強く念じたわたしはきっといま、身体中を引っ掻き回して戻り道を探しているのだと思う。
大量の鼻水と、くしゃみ、ときどき来る頭痛、そして目の前に開く見えない扉。
誰にも理解されない、共有できない、むしろ疎まれさえする状態の中で強く願うこと。
わたしは、あの扉の向こうへ帰りたい。
誰も逃せなくなるくらいなら、死んだ方がマシだから。
わたしは、軸羽根を渡す人。
わたしに、逃せない人はいない。
わたし以上の、逃し屋もいない。
えみさん、なめんなよ。
あたしが、必ず逃してやるから。
はじまりは、夜逃げや本舗。
わたしの人生は、きっとあのころから変わっていない。
変わらなきゃならないものがあって、でも変わり方がわからないとき、わたしは言う。
どこ行きたいの?
とりあえず行こうか。
行きゃあ、なんとかなるんじゃん?
実際なんとかはならない笑
でも、そこにいたいなら、なんとかする。
継ぎ接ぎでも、凸凹でも、そこに居るために必ずなんとかする。
だからこそ、簡単に諦めきれない場所を選んで欲しい。
わたしにとっての京都がそうであるように。
泣くほど好きにならなければ、手に入らないものもあるのだから。
泣くほど好きになれば、なくなりはしない。
永遠に涙が対価として支払われ続けるから。
泣くほど好きなもの、祈るように愛しているもの。
あなたには、ありますか?
わたしはどうやら、療法家だったようで。
さ。
盛大に泣いて祈って愛そうか。
わたしの「愛」は、どうやらメインテーマのようなものらしいです。