推し活と24時間
2020/10/15
お気に入り以外に使う命は、ほど程に。
お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ
通詞人にして臼井靈氣療法家 西陣の拝み屋です。
本日10/15は、オンラインのみご予約承ります。
11時〜12時、16時〜17時のみ受付中、ゲットできるラッキーさんはどなたかしら?
運試しのようなご予約は、こちらから。
昨日は10月の真理予防学グループレッスン最終日でした。
この半年くらい、毎回書き出しワークがありますが、昨日は皆さま脳みそバーン!ってなったみたいで、ちょっとびっくりしていました笑
個人レッスンの方や土曜クラスの方が、割とスラスラ埋めていらしたので、意外な様子に「⁉︎◯⭐︎⁈」みたいに内心なりました(語彙力)。
指導力の向上を目指したいと思います。
(精進精進、と、念佛的に唱える)
でも、わかった顔して進められるより「わからない」と言われた方がずっといい。
じゃないと、お稽古が無駄になりますから。
学んでいるからには、活かし、身につけなければ意味はない。
そのために一番したらダメなことが「わかったフリ」なんですよね。
わからないなら、わかるまで教えるから来てください。
そんなシンプルなことを口にするのが、怖かった時期があります。
きっかけは、関東のあるグループクラス。
わからないことがあるから、と、LINEで質問してくる。
これはいまでも「気軽にどうぞ」とお伝えしていること。
ただし、いまは龍神靈氣の生徒さんのみに限定しています。
そのきっかけが、この関東のグループクラスの生徒さん。
「その質問は、次いらしたときにお答えします。予約入れてください」
と、お答えしたのがお気に召さなかったのか
「あの先生は金儲けのために通えと言う。お金の方に行った亡者よ」
という噂を広められたことがあるのです。
やがて、グループクラスは成り立たなくなり、これを機にわたしは人の仕切りで仕事をしなくなりました。
いまはすべてのマネジメントを自分でしています。
(関東時代は集客含めマネジメントを人に委ねることが多かったです)
ここで学んだことは、推しじゃないから、こんな目に遭うんだな、ってこと。
近しい生徒さんにはお話しますが、大したことない、と思う師範にモノを習ってはダメです。
推せる師範、ついて行きたいと思う師範、または支えたいと思う師範から学ばなければ、それが血肉になることはありません。
昨日は講座後に、我が推しであるお師範の非公式イベントがございまして。
許可をいただき、生徒さんの何人かをご案内致しました。
お声掛けした方は、ある意味選んでいるわけで、そこにはある種の選考理由があるのです。
終わった後、お師範にご挨拶してから次の予定にいったのですが、そうするにも、やはり理由がある。
その理由はわたしの心が決めたこと、そこに善悪の判断は必要ないわけで。
この辺りは実に風の時代っぽい感覚だと、改めて思いました。
土の時代は任侠であり、勧善懲悪。
それ故に善悪をとても問われました。
これから来る風の時代は、心の時代。
善悪より心を問います、それ故に解釈の違いから漣が立つこともあるかもしれません。
昨日は某所で「野宮」の謡を聴いていました。
先日9/5の能楽堂以来の「野宮」、講座後に聴く「野宮」は違った色に見えました。
お師範から9月の舞台前に聞いた野宮の解釈を思い出していました。
脳科学的には、善悪さえ行動習慣が決めて行きます。
つまり、限りなく曖昧で、その人の思考に由来するもの。
だからこそ、そこから解放される時代が来るのかもしれません。
一日は24時間、そしてわたしたちは忙しい。
それを推しのために心に従い使いなさい、そう時代が言ってくれるとしたら。
貴方は、どう時を過ごしますか?