奇跡の始まりは、いつも京都から。

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奇跡の始まりは、いつも京都から。

2020/11/09

奇跡は、起こすものだから。

お目通し下さり光栄です、京都の脳科学コーチ

夢を叶えるお稽古場 西陣の拝み屋です。

本日11/9は、オンラインにてご予約承ります。

ご希望の方はこちらから。

 

10月末から続いている声枯れ。

自分の弱さと、人間の卑怯さを嫌ほども見せつけられたこの10日間。

でも、その間にも様々なことは起きるわけで笑

東西で、わたしに関わる人が体験した小さな奇跡の報せに少なくとも自分が成長したことを気づかされていました。

この世に闇はなくならないし、卑怯な人はどこまでも卑怯だし、ひどい人はどうしたってひどいわけで。

そんな昨日、ある神様に呼び出されて参りました。

その神様は洛北にある小高い丘の上に鎮座されていて、剣人宮本武蔵縁の地にありました。

そこで初めて「剣鉾(けんほこ)」という魔祓いの方法を知ります。

リズムを取りながら鈴を鳴らして天を突き悪霊を祓う剣鉾。

きっと女人にはさせては貰えないのでしょうが、それはきっと女は「宿らせる器」だからだと思っています。

 

お社の下には煎茶道開祖の史跡があり、中にお寺がありました。

あの長州萩藩の久坂玄瑞のご位牌があるこのお寺に、所願成就の観音様がお祀りされていました。

仏を信仰しない民のために女に化け、嫁取り合戦を起こし、嫁いだその日に遺体となり消えた観音様。

その観音様と、宮本武蔵に、奇跡の起こし方を教わりに行った。

昨日はそんな1日でした。

 

宮本武蔵は、こんな言葉を残しています。

「我神仏を尊んで神仏を恃まず(たのまず)」

奇跡とは、そんな先にあるのではないかと思うのです。

神道は言挙げせず、が、原則です。

それでも、言葉を尽くしてきました。

それは、自分の言葉が誰かを包むと信じてきたから。

そんなわたしの一番嫌いなことが、金で買われていくこと。

神奈川時代、随分お金で動かされる人の烙印を押されてきました。

それは本当に屈辱的で、何度悔し涙を流したかわからないこと。

同時に「大したこともできないくせに」という言葉も同じくらい浴びてきた。

それが本当に骨の髄まで嫌だったことを、昨日は知らされた気がしたのです。

 

昔島原に「吉野太夫」という太夫がいました。

吉野、という名は継承されたらしく何代もに引き継がれたそうですが、最初の吉野太夫は宮本武蔵と逸話があるそれはそれは万人に愛された太夫でした。

身請け合戦を二人の男が繰り広げ、灰屋の豪商に正妻として迎えられ、10年暮らして亡くなりました。

わたしが欲しい奇跡とはきっと、吉野太夫が見たような世界なのです。

金で売り買いされる遊廓で頂点を極め、剣豪宮本武蔵に異を説いた吉野太夫。

あの時代、島原の太夫は五万石大名と同じ地位がありました。

それは吉原の花魁とは一線を画することを意味する。

同じようにわたしも「たかが霊媒のくせに」とは、誰からも言われたくありません。

 

たかが霊媒のくせに。

たかだか臼井靈氣療法家が偉そうに。

金で買われているくせに。

 

そんなことは、誰にも言われたくないし、そう思うなら来なければいい。

口にしなくても、触れたら聴こえてしまうのがわたしたち霊媒の性。

それさえ判らぬなら、金で何を買ったのだというのだろう。

 

ね?吉野太夫。

 

所願成就の観音様と、ある約束をしました。

そして、決めたこと。

風の時代は、京都を離れない人になろうと思います。

随分自分なりに頑張ってきた、その先にあるのが声を奪われるような答えなら。

もうそこに渡す命は、わたしにはないのだから。

京都以外にいる大切な人には、これからはお忍びで会いに行きます笑。

 

奇跡を起こせる人になりたい。

二十二社巡りを結願させたわたしの、いまの願い。

そのためにこれからなにをするべきか、ただそれだけを考えている。

答えは、もう見えたから。

神様を尊び、でも神様を恃まず、この手で奇跡を掴み取る。

どこかで同じ奇跡が起きてないかを調べ上げ、もし起きているなら取りに行く。

わたしの祈りは科学だから。

現実があるなら、必ず再現させられるのだから。

 

わたしは稀有な霊媒、野良の拝み屋。

でもその力は、これからは京都のために使いたい。

わたしが愛したこの街のために、わたしを受け入れてくれた優しいこの街のために。

 

この京都で、奇跡を起こし続けていく。

ただ、それだけなのです。

 

 

 

 

 

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