賽の河原で夢を語れ~心の体温あげてこ

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賽の河原で夢を語れ~心の体温あげてこ

2020/11/10

心の温度を下げてはいけない。

お目通しくださり光栄です、京都の脳科学コーチ 夢を叶えるお稽古場

西陣の拝み屋です。

本日11/10はオンラインにてご予約承ります、ご希望の方はこちらから。

 

声が枯れて早10日、まぁまぁいろいろな気づきがございました。

京都で現存する拝み屋として活動しておりますが、こうみえて脳科学コーチ(笑)。

起きた現実は自分の脳が作り出している、ということくらいは骨の髄まで

理解しているつもりでおります。

確かにきっかけは外因ですが、その外因がまかり通る許可を出しているのは

わたしの潜在意識なわけで、どうしたらそうなるわけ?というお話です。

目が合わなければ出会えない、これは人間の大原則。

相手がいいひとであれ、悪い人であれ、目があった=その人と同じ周波数と

いうわけでして、だからこそ周波数の変わり目がある意味狙い時なわけで。

曲がりなりにもプロなんだから誰よりも知っているはずだったのに、ま、ひとなんて

もろいものでごじゃります、っていうことですかね(笑)

とりあえず笑っておこうか。

 

わたしもこう見えて、人間だったりするのです。

怒りもするし、泣きもするし、悔しがったりもします。

その意味では、本当にべたに人間臭いと思うし、ヒトとしては

申し訳ないほど至らない存在だと思っています。

そんなわたしが、ある日突然大切にしている声を取り上げられた。

まぁ、本当のところはどうかわからないけれど、タイミング的に

対人ストレスがきっかけであることが間違いないだろうと思いたくなる

状況下でしか、事が起こらなかった。

そうなったとき、どうするか。

答えは簡単で、わたしの場合「いったん全部やめてみる」だったわけです。

 

夢を見ることさえ、できないほどに傷ついた今回。

周りからだいぶ心配され(声出なくなったの二度目だからね)、そして

自分自身話すことが怖いから、ひきこもるようにお仕事するようになって。

悪循環が重なって重なって、もう本当にどんな夢も見られないのではないかと

思うほど、何にもわからなくなってしまったのだけれど。

そういう現実こそがある意味マンデラ現象で、それを引き起こした人は本当に

怖い存在なんだと思うようになりました。

でもね、ほら、えみちゃんの場合ちょっと変わっているから。

いろいろ検証するわけです、相手の発言とか、そういうの含めて。

で。

導き出した答えが「きっとさみしかったんだろうな」だったりしました。

 

たまにいるんだけど、生徒さんとかで。

「えみちゃんがなんとかしてくれる」と思ってお金払っている人。

それはわたしの中では「金で買いに来た人」と同じだからできたら辞めてね。

上手に誤魔化しているつもりの人とかいるけど、もし、そうするなら墓場まで

誤魔化してね。

途中でメッキが剥げました、みたいなことは辞めようか。

今回傷が深くなった原因の一つにそれがあったことも、また事実。

おくびにも出さずに嘘をつきとおせる人って、計算高くて本当に怖いなって

思っちゃうタイプなんですよね、ま、結局見抜けない自分の問題なんだけれども。

声はまだ戻らないけれど、その位置に立ったら、なんだかすとんと落ち付きました。

きっと、さみしかったり、悔しかったりしたんだろうなって思ったら、全部のことが

一気につながりだして、あぁ、そういえばすでにイントロ鳴ってたねって思ったんです。

 

金で買えるくらいに下に思っていた存在のわたしが、きっとその人が知らない何かを

手に入れて、大切にしていることが許せなかったんだろうなぁって。

そうかー、それが嫌だったのかー、ってなったら、もっと突き進んできわめてやろうって

思った(笑)。(なんて性格が悪いのかしらー)

どのくらい極めようかって考えたとき、ふと「賽の河原でも夢を語れるくらい」って

降りてきて、その瞬間「それ、すっげいよくない?!」ってなりました。

(えぇ、明らかにぶっ飛んでます、それは間違いない自覚がある)

夢の途中で鬼に壊されて子どもたちがなく賽の河原、無駄な努力の代名詞とさえ

言われている賽の河原の石積み。

今回声が枯れてしまったことについては、それに近い感情が脳裏をよぎって本当に

ある意味絶望したのだけど。

そこで学んだことって結局、蟲の作用と、愛の使い方だったりしたわけで。

心まで愛せなかった、ってことなんだなって、ただ、それだけなんだって

強く思ったわけです。

心まで愛せなかったのか、最初から心がなかったのか、それはわからないけれど。

でも、どちらにしてもさみしい人だっただけのことで、そのさみしさを埋めるべきは

わたしの存在ではないってことを明確に自覚しただけのことで。

結局、心がさみしいのを金で埋めようとしても無理ですよってことを、12年経って

改めてみただけ、ってオチでした。

いやー、いかにも風の時代っぽいっすね(笑)。

どうしてお金でさみしさが埋まるって思うのか、思ったことがないから一ミリも

判らないけれど。

お金で売り買いできるものは、結局お金で売り買いされるし。

そうじゃないんだよ、そうじゃなくってさー、ってことを仕事として随分人に

伝えてきているつもりでいたけれど、まったく響いてないっていうね(笑)。

いや、いろいろな意味でいい勉強になりました。

 

まだ声は完全に戻っていませんが。

リハビリしながら、賽の河原の鬼も思わず立ち止まって夢に聴き入るような

そんな拝み屋を目指します。

こうご期待(笑)。

そんな意味で、西陣の拝み屋、拝み屋稼業を少しずつマイナーチェンジしています。

HP改修しました、いろいろ変わっております故ご興味ある方はご覧くださいませ。

 

賽の河原で夢を語る、それができたら超楽しいだろうなぁ。

そんなトンでもハイポジな拝み屋目指して、明日からまた頑張ります★

 

 

 

 

 

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